ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【集団劇のあり方】『黎明篇』『ヤマト2205』、そして『Λ』

こんにちは。ymtetcです。

以前、『黎明篇 アクエリアスアルゴリズム』と『スターブレイザーズΛ』、『ヤマト2205』をまとめて展望する記事を書きました。

ymtetc.hatenablog.com

今日は、実際に『アクエリアスアルゴリズム』書籍版、『ヤマト2205』前章、『スターブレイザーズΛ』第3巻の三者が出揃ったこの時に、改めてこの三作品を考えてみようと思います。注目するのは、「集団劇」のあり方です。

〇ymtetcが「集団劇」に興味を持つまで

私はこれまで、あまり「集団劇」そのものに興味を持ってきませんでした。ざっくりと「特定の主人公一人ではなく」「複数の物語が」「集団を軸に」進行するといったイメージしかもっておらず、またそれ以上理解を深めようともしていませんでした。

そんな私が直面したのが、『アクエリアスアルゴリズム』です。

私はこの作品を、どこかつかみどころのない、軸が曖昧な作品だと感じていました。とくに三人称・神視点で書いてあるその文体が、どうにも私は馴染めなかったのです。

ですがそれは私の素朴なフィーリングであって、この作品の本質ではない。では、『アクエリアスアルゴリズム』とは一体何なのだろう?……と考えてみて、私はようやく、(既に多くの人が辿り着いていたであろう)答えに辿り着きました。この作品は集団劇なのだ……と。これまで興味を持ってこなかった分野の作品なのだから、馴染めないのも当然だ、というわけです。

〇集団劇としての『アクエリアスアルゴリズム

集団劇としてのアクエリアスアルゴリズム』は、ベーシックな構造を持った物語を、とても高いレベルで表現している作品でした。

「高いレベル」とは、まさに高島雄哉さんが仕掛けるSFドラマであり、アステロイド6さんが仕掛ける『ヤマト』ドラマのこと。そして「ベーシックな構造」とは、バラバラに展開されていた物語を一か所に集めていく、という集団劇の一つの王道に則っていたことを指しています。

以前「物語の”軸”は「アクエリアス」」で書いたように、『アクエリアスアルゴリズム』とは、舞台であるアクエリアス」を軸にした”解放”の物語でした。

それを示す一節を紹介しましょう。

(略)総帥サルゴンは、己が背負い続けてきたディンギル民族の運命が潰えることを悟った。すべてが終わるときが来たのだ。溶け行く意識の中で、サルゴンは総帥の座から解き放たれ一人の青年の顔を想った。(略)

(高島雄哉著、アステロイド6協力『宇宙戦艦ヤマト 黎明篇 アクエリアスアルゴリズムKADOKAWA、2021年、310~311頁。)

アクエリアス」に囚われた人々がアクエリアス氷球に集い、戦い、解き放たれ、自身の人間性を再確認する。私は『アクエリアスアルゴリズム』には、そんな一面があると考えます。

〇集団劇としての『ヤマト2205』

アクエリアスアルゴリズム』が、”バラバラだったものを一か所に集める”タイプの集団劇だとすれば、『ヤマト2205』もそれとよく似ています。

『2205』前章には、古代進を中心とする旧ヤマトクルーと、土門竜介を中心とする新ヤマトクルー、デスラーを中心とするガミラスの三つの軸が存在します。これを核として、周辺に芹沢や山南、坂本、ヤーブ、ヒスといった大小の物語が配置され、三つの軸と関連して機能しています。また、主人公といった趣ではないものの、デーダーやメルダーズにも焦点が当てられています。

そして、これら複数の物語がイスカンダルに集結し、映画は幕を閉じる。バラバラだったものが、一か所に。『2205』前章は、『アクエリアスアルゴリズム』との共通項を持った物語であったと言えます。

〇『アクエリアスアルゴリズム』と『ヤマト2205』の共通点

宇宙戦艦ヤマト』はいわゆる「ヒーローもの」ではありませんが、私は「ヒーローとしての宇宙戦艦ヤマト」像が、『宇宙戦艦ヤマト』には欠かせないと考えています。

例えば『星巡る方舟』で雲海から宇宙戦艦ヤマトが浮上したとき、なんとも言葉に言い表すことのできない高揚感をおぼえた方は少なくないのではないかと考えます。あるいは旧作で言えば、コスモタイガー隊を展開させ、都市帝国の前に立ち塞がっている『さらば』の宇宙戦艦ヤマト。これらはまさに、「ヒーローとしての宇宙戦艦ヤマト」が描かれたシーンでした。

このような「ヒーローとしての宇宙戦艦ヤマト」像を継承しているのが、『アクエリアスアルゴリズム』であり『ヤマト2205』です。

小説や映画の内容を、少し思い出してみてください。

どちらの物語も、アクエリアスイスカンダルといった舞台に複数の物語が結集する形の集団劇。

では、その集団劇で、最も決定的な役割を果たした存在は何だったでしょうか。

言い換えるなら、いちばん”おいしい所”を持っていったのは何だったでしょうか。

そうです。

宇宙戦艦ヤマトです。

つまりこの両者は集団劇でありながら、そのいちばんの見せ場を宇宙戦艦ヤマトに割り振ることによって、高揚感のある『宇宙戦艦ヤマト』を実現している。そこに共通点があると言えます。

〇そして『Λ』へ

ここまで、バラバラだったものを一か所に集めていくタイプの物語として『アクエリアスアルゴリズム』と『ヤマト2205』を読み解いてきました。ここで、この二つの作品と対置されるのが、「ヤマト新時代」を構成する三つ目の作品『スターブレイザーズΛ』です。

『Λ』は集団劇でありながら、バラバラだったものを一か所に集めていくタイプの物語ではありません。むしろ『Λ』は、最初から一か所に全てが集まっています。だからこそ、『Λ』では「トップネス」という一か所に集まった存在がバラバラになるのかならないのか、一致団結する意味とは何なのか、といったことがドラマになっていくわけです。

今日の視点から言えば、『Λ』は『アクエリアスアルゴリズム』や『2205』とは真逆の構造をとっていると言えますね。

ですが、先に挙げた『アクエリアスアルゴリズム』と『2205』の共通点から言えば、『Λ』も、現在面白い地点にいます。主人公であるヤマトユウが、今現在トップネスを離れているからです。

例えば、ここからユウに”おいしい所”を持って行かせれば、『Λ』は、『アクエリアスアルゴリズム』や『2205』とよく似た、「ヒーローとしての宇宙戦艦ヤマト」を盛り込んだ集団劇になっていくでしょう。もしもそうしないのであれば、また新しい「宇宙戦艦ヤマト」像を提示してくれるでしょう。

 

ヤマト新時代を牽引する『アクエリアスアルゴリズム』『2205』『スターブレイザーズΛ』の三作品は、同じ集団劇でありながら、共通項もあり、相違点もあります。中でも、『Λ』は集団劇における「宇宙戦艦ヤマト」の立ち位置がまだ明らかにされていないこともあって、これからどう展開していくのかが注目される作品でもありますね。