こんにちは。ymtetcです。
安田賢司監督:リメイクであれば音楽を一新するのも一つの手だとは思うんです。(略)ただ、『ヤマト』の音楽がかかっちゃうと、その瞬間に『ヤマト』になることが分かったので、僕はある種、「ミュージカルで突然歌い出す」ではないですけど、(略)かつてのファンにとっては「懐かしの音楽がここで来るか!」といったところもありますし、新しいお客さんにとっては、『ヤマト』の音楽というのは独特なところがあるので、そういった音楽を聴く、もしかしたら初体験になる方もいるかもしれないんですけど、そういった方たちにとっては新しい音楽の使い方、見え方になることになったのではないかと思いますね。
『ヤマト2205』で安田賢司監督を起用した背景には、「『ヤマト』をよく知らないアニメ監督に作品を委ねたい」というコンセプトがありました。
その過程で、安田監督から「リメイクであれば音楽を一新するのも一つの手」という言葉が出たのは、ファンとしては少々面食らう言葉ではありますが、『ヤマト』をよく知らない、客観視できる監督から出た率直な発想として、前向きな学びにしてもいいのかなと思います。「ヤマトの音楽は独特」と言い切っているあたりも、私たち『ヤマト』ファンからすれば、なかなか気づきにくいところですよね。
さて、今回取り上げたいのは、冒頭に引用した安田監督のコメントのうち太字にした部分、「かつてのファンにとっては懐かしの」「新しいお客さんにとっては(略)新しい」の部分です。
ヤマトを知る人には懐かしく、ヤマトを知らない人には新しく。
これは音楽に限らず、メカにも、ストーリーにも言え、しかもそれは『ヤマト』がこれから生存していくための、大きなヒントになるのではないかと私は考えます。すなわち、『ヤマト』が『ヤマト』らしく振舞うことが、既存のファンにも新規の観客にも”ウケる”作品づくりに繋がるのではないか、という視点です。
これまでも同様の発想は、それこそ「ヤマトらしさ」の議論の中で存在していました。
昔の作品と現代の作風にあるギャップ。このギャップを敢えて利用して、「おもしろみ」に変えていく。ここには、懐かしさと新しさの両立を狙える可能性が隠されていると私は考えます。
『2205』の功績は、プロの監督がこれを言語化し、実際に『2205』の音楽という形で具体化した点にあると思います。それどころか、演出テンポの加速を逆に利用して、旧作以来の伝統である「ヤマトはミュージカル」を現代に蘇らせたわけです。各キャラクターのテーマソングを「見栄を切って」流す場面がしっかりと保たれたことで、現代的な演出に「ヤマトらしい」音楽が乗る、という面白みを作り出すことができました。音楽と演出の二重効果で緩急をつけているところが素晴らしいですよね。
最後に、『ヤマト』音楽の一新の可能性についても触れておきましょう。
振り返れば、2000年代『ヤマト』は旧作音楽と向き合う歴史でもありました。
『新・宇宙戦艦ヤマト』はイメージアルバムを聴く限り、旧作からの継続とアップデートを志向。『復活篇』は、恐らく西崎監督は羽田健太郎さんの音楽を望んでいたのでしょうが、叶わずクラシックへ転換。これは一部のファンから批判を浴びました。これを踏まえ、『復活篇DC』では音楽を変更。旧作音楽と山下康介さんのメロディを軸に、ポスト宮川泰・羽田健太郎の新しいヤマト音楽のあり方を模索していきました。その『復活篇DC』を受けて、『2199』は旧作音楽に回帰し、「宮川音楽」が息子の彬良さんによって継承されました。しかし『2199』には、二度の主題歌騒動が暗い影を落としました。先行上映時、スタッフをも巻き込んで起こった「オープニング変更反対運動」。地上波放送時、ソニーミュージックとのコラボレーションで実現したオープニングの変更と、一部ファンの批判。
大手レーベルとの距離を置き始めたと思われる『方舟』以降、音楽的にはかなり自由度が高まり、宮川彬良さんを中心とした音楽づくりが進んできたと考えます。
依然として、『ヤマト』音楽の一新は、ファンからすればかなり抵抗感のある判断です。それこそ福井さんのいうように、ヤマトファンは「極刑」レベルの批判を浴びせるかもしれない。
ただ、「現代のテンポに合った音楽」を目的とするならば、『2199』『2202』『2205』と積み上げてきたリメイクシリーズには選択可能な現実的な手段があります。
それは、宮川彬良さんの新曲の比率を高めることです。
既に、宮川泰さんの音楽と彬良さんの音楽の融合は、三作品を通じて深いものになってきていると思います。彬良さんが作る新曲の比率を高めていけば、必然的に旧作とは雰囲気の違うシーンを演出することもやりやすくなっていくわけですから、現実的な手段なのかな、と思います。