こんにちは。ymtetcです。
『2205』第8話(最終話)で、古代進はスターシャに対して「私はもう家族を失いたくない」と訴え、そして消えゆくスターシャを最後にデスラーと会わせました。この一連の場面で「泣いた」との声も少なくありません。
では、なぜこの二つの場面が、一つの物語として「泣ける」ものになっていたのでしょうか。今日はその理由について考えていきます。
○古代進と「家族」
改めて指摘するまでもありませんが、古代進は生まれてわずか20数年の人生で、家族を失い続けています。
『2199』より前では両親を、『2199』第1話(と第24話)で兄を失い、血縁上の家族はここで失われたことになります。
しかし、それだけではありません。『2199』第26話では(一時的に)恋人・森雪を*1、そして『2199』最終話では沖田を失っています*2。
このように、薮の言葉を借りれば「居場所」=心の拠所ともなり得る家族を、古代進は繰り返し失い続けています。このことが、「もう家族を失いたくない」と古代が訴える動機の一つにもなっています。
○「家族」の失い方
さて、今日改めて整理しておきたいのが、古代進の「家族」の失い方です。
これが『2205』最終話に繋がってくると私は考えます。これは古代がスターシャをデスラーの元へ連れていった、あのシーンから逆算して考えると分かりやすいですね。
古代は、スターシャが消えてしまうと分かっていながら、デスラーの元へ連れていきました。そして古代はこう述べます。
これで救われた心もある。たとえ一瞬でも、最後に愛する人に会えて。それだけで、人は救われるんだ。
人が、人にできるのは、それくらいしか……
さて、これまで古代は家族とどう別れてきたでしょうか。
そうです。古代はこれまで、両親にも、兄にも、果ては沖田艦長にも、最後に会えていない。誰も「家族」を見送ることができていないのです。古代の言葉を借りるなら、古代の心はこれまで、救われてこなかったと言えます。
○あの作戦の動機
すでに考察が出ているように、あの作戦そのものは、本当にスターシャの命を救うためであったと思います。しかしそれと同時に、デスラーの心を救う作戦でもあったでしょう。スターシャの命を救うことには失敗したので、ある意味では徒労に終わった作戦かもしれませんが、デスラーの心は救ったわけです(結果的には、サーシャを未来に繋ぐことにも成功しています)。
あの場面で古代が涙を流したのは、スターシャを失った悲しさではないと思います。かつて「家族」と最後に会うことができなかった自分。デスラーの心を救ったことで、かつて救われなかった自分の心に、そっと手を差し伸べることができた。自分ができなかったことを、他の人にさせてあげることができた。そうした一種の救い、安堵感のようなものが溢れて、あの涙に繋がったのではないでしょうか。