ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】古代進と、第7話の涙

こんにちは。ymtetcです。

宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』第7話には、古代進が「俺はもう分からなくなった……」と雪に涙するシーンがありました。

このシーンはどう解釈すればよいでしょうか。今日は私見を述べたいと思います。

〇涙のきっかけ

まずは、このシーンの前後を整理しておきましょう。古代が明らかな動揺を見せるのは、サンクテルでスターシャが「(イスカンダルを)渡すわけには参りません。決して」と語ったシーンです。その後場面は古代が雪に通信をするシーンに繋がり、さらに場面は転換して、古代が第一艦橋に戻ってくるシーンへ繋がります。

古代がどんな点で動揺したのか、古代が雪にどんな言葉を伝えたのか、本来であれば描いてもおかしくないところを『2205』はカットしています。そのため、このシーンに対する解釈は観客一人一人に委ねられていると思われます。

〇古代が「分からなくなった」ワケ

まずは、古代がどんな点で動揺したのかを考えたいと思います。

先述した場面で古代が動揺したとすれば、それは「スターシャがイスカンダルを自爆させる」ことに気づいたことがきっかけと見ていいでしょう。

次に、古代は一体何が「分からなくなった」のかも考えてみます。

私は、もっともシンプルな枠組みで捉えるのであれば、「(何が正しいのか)分からなくなった」と言葉を補うのがよいのではないかと思います。

古代はここまで、大人として、軍人として、艦長として、さらには古代進」として、自らが「あるべき」「正しい」と思う姿になろうとしていました。第5話で頑なに波動砲作戦にこだわったのも、その一つです。

第7話はその延長線上にあります。古代は「地球軍の代表者」として、そして「あるべき古代進」としてサンクテルに向かい、スターシャと言葉を交わしたわけです。

その結果、「イスカンダルを明け渡すわけにはいかない」というスターシャの覚悟、「人生は終わるべき時に終わった方がいい」という想い、さらには地球の利益や仲間の命を総合して、地球軍の代表者として、「あるべき古代進」としての、現実的な「正しさ」を守る上でベストだと思われる決断を下します。

それが、「イスカンダルの自爆を止めない」ということです。

その決断は「あるべき古代進」にとっては正しいのかもしれませんが、言うまでもなく古代進本人にとっては、全く正しくありません

古代自身が後に述べるように、古代はこの決断によって、残された家族の一人であるスターシャを失うのです。何より他人の「自ら命を絶つ」決断に対して、古代は(2203年の自分を想ってある種の共感はできても)許すことができないはず。

古代の中にある「古代進」としての答えは、「人生は終わるべき時に終わった方がいい」とするスターシャの想いを尊重することでした。それが仲間の利益にもなる。でも、古代進の心はそれを受け入れることができません。正しいと思うことができないのです。

こうした二つの「正しさ」が交錯して動揺したところに、実際にはスターシャを黙って見送るという(古代にとっては大いに間違った)決断を下してしまったことで、古代進はいよいよ「正しさ」というものが分からなくなったのだと考えます。

 

観客としては、あの場面は古代進に共感するよりも、雪や島・土門と同じ目線に立って「どうした古代?」「それでいいのか古代!」の目を向けるべきシーンではないかと思います。

古代の心情描写を(この時点で)カットしている事からすれば、作り手の意図としても恐らくはそうでしょう。

このシーンは第8話においてカタルシスを作り出すため、”落として上げる”の「落として」に当たるのではないでしょうか。