ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】古代がスターシャへの説得依頼を拒んだ理由

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2205』古代進シリーズ(?)。

第4弾は、第6話のあのセリフに向き合いたいと思います。

〇スターシャへの説得依頼を拒む古代

古代:その恩人との約束を破り、目の前で波動砲を使った者の言葉に、スターシャ女王が、耳を貸すとは思えない。認めるしかなかったんだ。イスカンダルの理念を、自分の心を裏切るよう仕向けてしまったのは俺だ。説得は、デスラー総統にしていただいた方が……。

デスラー:古代、お前は何をしにここに来たのだ。我らを救いにか、それとも逃げるためか?

古代:(目を伏せる)

デスラー:作戦は了解した。地球の恩情には心より感謝する。……ランハルトが未来を託した者が、かくも小さい男だったとは。

古代:(驚き、唇を結ぶ)

まず最初に考えたいのは「逃げる」との表現が古代に当てはまっているかどうか? ですが、私は当てはまっている、と考えたいと思います。

もちろん、この時デスラーは、古代を批判するため、敢えて強烈な言葉を用いています。しかし、古代は言い返さず、じっと受け止める反応でした。古代の性格からして、ここは図星だったと考えてもいいと考えます。

では、古代は何から逃げようとしていたのでしょうか。会話の流れからすれば「スターシャ」から逃げようとした、わけですが、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。

古代進と「古代進の理想」

古代が逃れようとしていたもの。それは自分自身です

「あるべき古代進」という幻に囚われ、己の心を抑圧している自分自身の現実との対面。古代はそれを避けようとしていたのではないかと考えます。

古代:その恩人との約束を破り、目の前で波動砲を使った者の言葉に、スターシャ女王が、耳を貸すとは思えない。認めるしかなかったんだ。イスカンダルの理念を、自分の心を裏切るよう仕向けてしまったのは俺だ。

ここからは、前回の「【ヤマト2205】古代が土門をヤマトに残した理由」と同様、行間を読んでいく形をとりましょう。

このセリフを読み解くポイントは、(言葉とは裏腹に)古代はスターシャの目線で考えているわけではない、という点にあると思います。実はこのセリフ、古代はスターシャの目線ではなく、もう一人の自分の目線で考えて発したものなのではないでしょうか。

「スターシャ」を「古代進」に、「イスカンダルの理念」を「古代進の理想」に書き換えてみましょう。

その恩人との約束を破り、目の前で波動砲を使った者(=今の自分)の言葉に、「古代進」が耳を貸すとは思えない。認めるしかなかったんだ。「古代進の理想」を、「古代進の心」を裏切るよう仕向けてしまったのは俺(=今の自分)だ。

表現には調整が必要ですが、構図としては全く同じであることが分かります。

波動砲を使って惑星を破壊し、敵を葬る。この作戦は、「古代進の理想」と「古代進の心」を裏切る作戦でもありました。

私はここに、この時の古代の自己認識が無意識的に反映されていると考えます。古代は無意識のうちに、自分自身に対して激しく失望しているのです。

〇自分自身と向き合うことへの恐れ

仮にスターシャに向き合い、言葉を交わしたとしても、あの作戦を半ば肯定したスターシャならば古代を責めるようなことはしないでしょう。実際、第7話で古代と対面したスターシャは古代を責めるどころか、「生きることは変化し続けること」という古代守の言葉を紹介しています*1

ですがそんなことは、古代にとっては関係ありません。古代が恐れているのはスターシャではなく自分自身です。「時間断層の代わりに生還した人」として、「大人」として、「艦長」としての「あるべき古代進」になろうとしている自分、そうして「自分の理想」と「自分の心」を裏切り続けている自分。

「あるべき古代進」であり続けることが「正しい」と信じていたからこそ、古代は高次元世界から帰ってきた後の2年間を生き続けることができました。

もしスターシャと対面して言葉を交わせば、古代は『2202』までの本当の自分、自分の心に従って行動することができた、あの頃の自分と再び向き合うことになります。そうすれば、「自分の理想」と「自分の心」を抑圧することが「正しい」として築き上げてきたこの2年が、一瞬で崩壊してしまうかもしれません。

古代は、そのことを無意識的に恐れていたのではないでしょうか。

〇「画面外の物語」

これは無意識の世界です。第6話の古代がそこまで考えていたとは思えません*2

ですが古代は「スターシャと会うこと」そのものではなく、その先にある、もっと深く重たいものを恐れて、そこから逃げようとしているように見えます。そこで「本当の自分を抑圧して『あるべき古代進』になろうとしている自分自身と向き合うこと」を恐れ、その恐怖から逃げようとしているのではないかと考えました。

シナリオという答えがあるわけではないので手探りになりますが、今回の『2205』の古代には、それこそ『2202』デスラーのような「画面外の物語」がたくさん作られていそうですね。

*1:「生きることは変化し続けること」。これは福井さんによれば、最終話の「絶対に譲れないものが人にはある」と対になる言葉だといいます。確かに、「生きることは変化し続けること」は、自分の心を裏切って生きることを肯定する考え方にも繋がりかねませんね。

*2:というより、そのことに気づかせてくれたのが、第7話ラストのスターシャであり、第8話の土門であったと言ってもいいでしょう。