ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト3199】敵の「心を救う」にチャレンジしてほしい

こんにちは。ymtetcです。

「ヤマトが誰かを救う」姿を描くのは『ヤマト』の前提になるのではないでしょうか。思えば『スターブレイザーズΛ』も「ヤマト」が皆を救うラストでした。

「誰かを救う」ことでヤマトは主役になると言えます。

一方福井さんは、それだけでは「ショー」になってしまうと語ります。

第一作目を起源とするテーマ性は失われ、『さらば~』までの切実な空気感も消え去って、「新たな侵略者に立ち向かうヒーローとしてのヤマトを大スケールで描く」”ショー”のみがそこにある。これをそのままリメイクすることは、すなわち敗北の歴史をなぞる結果になりません。

(『2205 全記録集』140頁)

「テーマ性」がそこになければ「作品」にはならない、としているわけです。

今日はこういった、福井ヤマト特有の発想について、考えていきます。

さらにもう一つ、福井ヤマトに特徴的なものがあります。それが「心を救う」との視点です。

『2202』ラストの特異性は、「ヤマトが誰かを救う」という軸は守りつつ、まずはヤマトが地球を救い、さらに主人公を救い、さらに主人公に共感する人々の心を救う、との重層構造にありました。

『2205』も同様でした。ヤマトが救うのはイスカンダルでありスターシャなのですが、これがデスラーの心を救う、との構造を用意しています。

では、『3199』はどうなるでしょうか。個人的には、「自ら人間をやめた」デザリアムの心を救うことにチャレンジしてほしいと考えています。

例えば、『2202』シナリオには、ズォーダーの心が救われるシーンがありました。

 返事を待たず、その腕の中にサーベラーを抱き寄せるズォーダー。

サーベラー「……!」

ズォーダー「もういい」

 サーベラーを抱きしめたまま、スクリーンを見上げるズォーダー。

ズォーダー「もういいんだ……」

(『2202 シナリオ編』209頁)

この流れを受けて、最終話ではサーベラーとズォーダーが雪を案内することになっていたようです。

このくだりは結局カットされたようですが、推測するに、盛り込んでもドラマとして十分に機能しない、との判断が下されたように思います。改めてこのくだりをよむと、第25話のラストにこのシーンが挟まるというのは違和感がありますね。

しかし、だからこそ、ぜひ再チャレンジをしてほしいと思います。デザリアムの「心の救い」を描くことで、『3199』にもハッピーエンドがもたらせるのではないでしょうか。