こんにちは。ymtetcです。
前回の記事では、これまでの福井ヤマト2作品の傾向から、『3199』は『2205』の
- 永遠の命←間違っている
- 限りある命(だからこそ”今”を大切に生きる)←正しい
という構図を揺さぶってくる可能性がある、というお話をしました。
今回の記事では、これを仮定的に前提として、この構図を揺さぶるとしたらどんな方向性が考えられるのか? について書いていきます。
〇二つのアプローチ
先ほど提示した通り、この構図には
- 永遠の命←間違っている
- 限りある命(だからこそ”今”を大切に生きる)←正しい
二つの命題があります。
ゆえにどちらも揺さぶることが可能ですが、今日は後者について考えてみましょう。
〇命が失われるということ
限りある命の肯定。これを揺さぶるためには、まずは限りある命のデメリットをまざまざと描く必要があると考えます。
『2205』は限りある命を肯定しましたが、限りある命にとって、避けられないのが「死」です。では、これを肯定した先にある「死」が私たちにとって素晴らしいものか、と問えば、決してそうではありません。
「死」には別れと悲しみがつきまといます。
ゆえに『2205』は、「最後に愛する人に会える」ことが救いになると描いたわけですが、現実は決してそれだけではないでしょう。現実には、最後に愛する人に会えないまま、永遠の別れを味わった者も多いわけです。それは特に、戦争であれば尚更。
このように考えると、『3199』が仮に『2205』の構図を揺さぶるとすれば、
- 遠く離れた場所で愛する者の命が失われる
というアプローチがあり得るのではないでしょうか。
〇”必要のない”キャラクターが見えてきた現実
大切な存在の「死」を描く、となれば、それは『さらば』のリメイクであった『2202』と性質が重なってしまいます。ですが、『3199』と『2202』には決定的な違いがあります。
『2202』は、「さらばのリメイクをしろ、だが主要キャラは殺すな」という無茶ぶりから始まりました。しかし、この時「主要キャラは殺すな」と注文された理由は、”今後、シリーズを展開していくかもしれないから”というものでした。言い換えると、”主要キャラクターは今後の展開次第で使うかもしれないから殺さないでね”ということ。
一方、今回はどうでしょうか。ヤマトマガジンの連載を読む限り、西﨑彰司さんはリメイクシリーズの完結に向けて動いています。そして、大きな問題がない限りは、最終作まで福井さんが続投することでしょう。
このような状況では、”使うかもしれないから殺さない”キャラクターは減っていきます。最終作に向けて、必要なキャラクター、必ずしも必要でないキャラクターが整理されているからです。
であれば、『3199』以降の場合、福井さんは『2202』よりは躊躇なく、主要キャラクターを物語から退場させることが可能になります。ファンに受け入れられるかどうか、それが面白いかどうかは別にして、リメイクシリーズ最終作ならば(あるいは物語を完結させる上で必要な犠牲ならば)、古代や土門を物語から退場させてもよいのです。
この『2202』と『3199』の状況の違いは、それほど大きな影響は及ぼさないかもしれませんが、しかし、確かに存在しています。この先のシリーズを展望していくなかで、私は『3199』以降のシリーズはちょっと怖いな、と思っているところです。