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偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【福井ヤマト】デスラーと古代、「友情」のための下準備

こんにちは。ymtecです。

『ヤマト2202』と『2205』で展開された、古代進アベルト・デスラーのドラマ。福井さんが脚本となって以降、二人の間にドラマが生じるようになりましたね。

ですが、その温度感は旧作とは異なります。「好敵手」や「友情」といった形にまでは、なかなか発展してゆきません。ではなぜ、二人のドラマは旧作ほど順調には進展していないのでしょうか。

その根本原因として挙げられるのは、リメイクシリーズの展開上、不自然だからということです。

福井ヤマトは、年齢相応のドラマをキャラクターに与えようとする傾向があります。そうすると、古代進のドラマは若者の、デスラーのドラマは大人のドラマとなります。世代の違うこの二人は簡単には混ざり合わないし、接点も多くない。むしろ『2202』が描いたような、同じ20代のクラウス・キーマンとの「友情」の方が自然なほどです。

福井ヤマトは、『2202』で、キーマン(デスラーの甥)の存在をてこに、まずは古代進デスラーの接点を作りました。これを経ても、二人の間には「友情」に至るほどの関わりはありませんが、互いにキーマンという、甥として、友人として大切な存在を知っていることで、心のどこかに繋がりは残っています。

しかし、だとしても、二人の間には埋めがたい「年齢と経験の差」があります。旧作と違い、リメイク版では、デスラーの方が圧倒的に、あらゆる面で古代を上回っています。この両者の溝を埋める努力をしなければ、なかなか旧作通りの「友情」展開にもっていくことは難しいでしょう。

では、この両者の溝を、どうドラマとして埋めていけばよいのでしょうか。

実は『2205』が、その答えの一つを提示してくれています。

『2205』は、「古代進デスラーの心を救う」ドラマを作ることで、二人の溝を大きく埋めました。年齢も経験も、デスラーと古代には大きな差があるけれども、古代進には、彼の優しさや思いやりという、彼にしかないパーソナリティがある。

古代進デスラーの心を救った『2205』ラストに至って、デスラーにとっての古代は、ようやく「ランハルトの友人」以上の存在、「心の恩人」へと発展したと考えます。ラストシーン、古代に語り掛けるあの表情を見ても、デスラーの古代に対する見方は間違いなく変わっています。それはあたかも『さらば』で、デスラーに「愛」を思い出させた古代進の姿のようです。

『3199』では『ヤマトⅢ』の展開もあるでしょう。古代とデスラーの関わりも当然生まれるかと思います。しかし、『2202』『2205』とくれば、二人の関係はかなり旧作に近づいています。どんな形で二人が再び出会うのかは分かりませんが、次に会った時には、これまでにはないほど、旧作の「友情」に近い二人のドラマが見られるはずです。

デスラーと古代の「友情」は、ゆっくりだが確実に進展している、と言えるでしょう。