ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

福井晴敏さんの考える「ヤマトらしさ」

こんにちは。ymtetcです。

いわゆる「福井ヤマト」は、『ヤマト2205』で2作目、『3199』で3作目となります。

『2205 全記録集』に掲載されている企画書には、『2205』だけでなく『3199』、そして、それ以降の作品に向けた展望が書かれています。それを読むと、福井さんが『ヤマト』という作品をどう捉えているか、が見えてきます。

今日は、これについて考えていきます。

〇福井さんの考える「ヤマトらしさ」

(略)『2202』が描いた人間論のさらに先を目指す。その行く末に待つのは、リメイク・シリーズ『完結編』で明らかにされるであろう、古代アケーリアス人の想像を絶する真意。だが、それがどんなものであれ、ヤマトは人間に寄り添い続ける。年々肯定しづらくなるであろう現実に抗い、人々の心の砦として存在し続ける……。

(141頁)

「人間に寄り添い続けること」。それが、『2202』『2205』『3199』そしてリメイク版『完結編』で一貫する、ヤマトの振る舞いのようです。

「人間に寄り添い続けること」、すなわち、”人間が人間であることの肯定”。それが、福井さんの考える「ヤマトらしさ」なのではないでしょうか。

〇福井ヤマトの原点

「福井ヤマト」の原点は、旧作第24話における古代のセリフ「愛し合うべきだった」と、それに続く劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト』にあります。簡単に言えば、この両者が持っていた熱量とテーマ性を、現代に合わせた形で再現することが、「福井ヤマト」の主な任務となっています。それゆえ、『2202』からリメイク『完結編』に至るまで、ほとんど同じアプローチで作品は積み上げられていくものと思います。

〇正しいアプローチといえるか

「人間が人間であることの肯定」を核としながら、そこに至るまでのプロセスにはSF設定、「ヒーローとしてのヤマト」などのエンターテイメント性を盛り込みつつ、時代に適合した『ヤマト』を作り続けていく。

このアプローチは、正しいと言えるでしょうか。

私自身は、このモデルは合理的でよいとは思います。『2202』と『2205』の接続が見事だったからです。物語の核を『2202』から引き継ぎつつ、メカの方針と演出の手法を刷新したことで、『2205』は『2202』とは異なるエンターテイメント作品になった。このプロデュース方針が『3199』とリメイク版『完結編』まで続くのであれば、私としてはある程度、安心して作品を観ることができます。

一方で懸念もあります。それが、「人間が人間であることの肯定」の物語は、おそらく半永久的に作り続けることができるということです。世界観を広げる余地の大きい『ヤマト』シリーズと、次々と企画を生み出す福井さんの頭脳があれば、です。『完結編』のあとに『復活篇』『2520』リメイクが続いても、驚きはありません。この流れを止めるためには、どこかで作品が”爆死”するしかないので……と思うほどです。

『完結編』で本当の意味で(『復活篇』『2520』が不要なほどに)「完結」させることができるよう、これからのリメイクシリーズは出口戦略を見極める必要がありそうですね。