ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト3199】が目指す「高み」とは何か?

こんにちは。ymtetcです。

福井さんは、次作『3199』を通して「より高み」を目指すと言います。

宇宙戦艦ヤマト:「3199」はどうなる? 福井晴敏「より高みに」 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

この、『3199』が目指す「高み」とは何でしょうか? 

私は、宇宙戦艦ヤマト』の「大人が見る作品」としての”イメージ”を確立させることだと考えます。

今日はこれについて、考えてみたいと思います。

〇アニメ・ジャンルと『宇宙戦艦ヤマト』のギャップ

福井さんは、「大人が見られるもの」とは、「生きてきた年月をもって共感できる」ものであると語っています。さらに福井さんは、これを「アニメでできるようで、できていないことだった」としています。

福井さんの分析がどこまで妥当かはさておき、アニメというジャンルそのものは、常に若者向けの文脈を内包しています。それ故か、『復活篇』にせよ『2199』にせよ、作品は常に若者向けの要素を含んできました。

しかし実際は、観客はほとんどが「大人」でした。『宇宙戦艦ヤマト』は、ここにある種のギャップを抱えてきたと言えます。

そこで福井さんは『2202』以来、「大人が見られるもの」としての『宇宙戦艦ヤマト』を作ろうとしてきたのだと思われます。

〇「大人向け」作品としてのイメージの確立

もはやリメイクシリーズでは、観客層の拡大は見込めません。故に、福井さんのいう「高み」も、必ずしも数字の観点からみた「高み」とは限らないでしょう。

では他の「高み」とは何か、と問えば、この”イメージ”の部分も、「高み」の一つと言えるのではないでしょうか。「大人が見られるもの」、すなわち「大人が見る作品」としての”イメージ”の確立。これが、『3199』の一つのミッションになると考えます。

作品とは、単に「大人」が見ていれば「大人が見る作品」としてのイメージを確立できる、というわけではありません。特に『宇宙戦艦ヤマト』の場合、「昔の子どもが好きだった(それを昔の子ども=今の大人たちが懐かしんでいる)作品」といった、”過去の作品”としてのイメージに留まりかねません

「昔の子ども」が当時の思い出に浸って楽しんでいる、との側面だけではなく、「今の大人」が「今の大人」として楽しんでいる、との側面を強化すること。

これが、『2202』以来の『ヤマト』づくりの中で、福井さんが見つけた自分の仕事なのではないでしょうか。