ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『宇宙戦艦ヤマト』と「青春」

こんにちは。ymtetcです。

宇宙戦艦ヤマト』に対して「青春」とのフレーズを使うケースが、時折見られます。特に『完結編』では、「古代とヤマト」の"友なら短い青春を“、「明日に架ける虹」の"青春もう一度"など、「青春」を押し出した歌詞が書かれました。

今日は『ヤマト』における「青春」とは何なのか、との観点から、「ヤマトらしさ」とリメイクシリーズについて考えてみたいと思います。

○ヤマトにおける「青春」とは

まず、この「青春」とは何でしょうか。

ヤマトで「青春」の要素が強い作品といえば、『YAMATO2520』です。2520は、若者が自分達の手で宇宙戦艦ヤマトを建造し、大宇宙へと旅立っていく作品でした。

これをヒントにすると、「青春」とは、若者たちが自分で己の未来を切り開く、との点にあるのではないか、と考えられます。それは『さらば宇宙戦艦ヤマト』にも通じるものです。

○リメイクシリーズと「青春」

そう考えてみると、リメイクシリーズは「青春」との観点から『ヤマト』をリメイクしてはいません。

例えば、『2199』では古代進の意思が問われる場面はあまりなく、『2202』では、むしろ「未来に裏切られる」姿さえ描きました。特に『2202』は、未来を切り開く、というより、過酷な社会の中でどう戦い生き延びていくか、という物語にもなっていました。

○「青春」がリメイクヤマトで描かれない理由

ではなぜそうなっているのでしょうか。

1つは、主な観客層が既に若者ではない点が考えられます。福井ヤマトは特に、この点に注目して『2202』と『2205』を作ったきらいがあります。

またもう1つ仮説的に提示できるのは、「自ら未来を切り開く」物語そのものが、そもそも若者の共感を得にくくなっているのではないか、という点です。

船で大海原に駆け出すような、若者の冒険心を描くような作品が今この時代のアニメ作品の主流かといえば、そうではないでしょう。むしろルールが決まっている世界の中でどう振る舞っていくか、どうそこから立ち上がったり、苦しんだり、生き抜いたりしていくか。そちらにフォーカスされた作品が主流なのではないでしょうか。

そのことも、近年の『ヤマト』から「青春」が遠ざけられている理由の一部だと考えます。

私が「らしさ」を語る場合、多くはその復活を主張してきましたが、今回はそのパターンではありません。再び『ヤマト』に青春の要素が必要なのか、と問えば、上記二つの理由から、私は必要ではないと考えています。

ただし、「自分で未来を切り開く」物語に潜むエネルギッシュさは、今だからこそ必要なテイストのようにも思えます。その点については、今後のヤマトにあってもよい要素なのではないでしょうか。