ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

新しく古典的な「永遠の旅」:『宇宙戦艦ヤマト』の行く道

こんにちは。ymtetcです。

福井晴敏さんは、『2205』企画書で、リメイクシリーズの完結案として「ヤマトが宇宙の平和を求めて終わりなき旅に出る」ラストについて言及していました。考え方としては古典的な結末ではありますが、『ヤマト』シリーズにおいては新しい発想だと言えます。

今日は、このアイデアについて考えます。

先日「ヤマトファンにできること」と題して”『ヤマト』を完結させるべき”という記事を書きましたが、そこで否応なくのしかかるのは、「『ヤマト』は、宇宙戦艦ヤマトが爆沈しても完結しなかった」という事実です。

しかし今日は敢えて、この事実を逆手にとってみたいと思います。

宇宙戦艦ヤマト』は、「宇宙戦艦ヤマトが爆沈した」からこそ、完結することができなかったのではないでしょうか。

宇宙戦艦ヤマト』における宇宙戦艦ヤマトの役割が「宇宙平和の使者」や「人類最後の希望」であると仮定した場合、ヤマトが爆沈しても、「宇宙に平和が訪れていない」「人類に平和が訪れていない」ならば、劇中の人類は何度でも宇宙戦艦ヤマトを必要とします。だとすれば、『宇宙戦艦ヤマト』を完結させるためには、劇中世界で「宇宙平和」が実現しなければなりません。

しかし、今の現実世界を照らしたときに、果たしてフィクションとはいえ、アニメーションで「宇宙平和」をもっともらしく描くことは可能なのかといえば、私はそうは思いません。

つまり、劇中で「宇宙平和」を描くことができないままに「宇宙平和の使者」としてのヤマトを沈めても、作品としては消化不良を起こしてしまうのではないでしょうか。

それが、ヤマトを沈めても『ヤマト』が完結しない理由の一つだと考えます。

 

さて、これを利用すると、実は「ヤマトが終わりなき旅に出る」ラストは、とても現実的なものに見えてきます。つまり、劇中で「宇宙平和」を描くことができないのなら、「宇宙平和」が実現していないことを前提に、ヤマトを終わりなき旅に向かわせればよいのです。

これでは続編の余地が残ると思われるかもしれませんが、大切なのは、観客と作り手が納得するラストであるかどうかです。観客と作り手が納得してのラストシーンならば、たとえヤマトが沈まなくとも、無事に『ヤマト』は完結を迎えることができると考えます。

例えば、『ヤマト』のもう一つの軸である「古代進の物語」として完結させ、「宇宙戦艦ヤマトの物語」としての一面は、終わりなき旅が続く形で完結としておく。そうすれば、観客も作り手もある程度納得のいく形で、『ヤマト』は完結できるのではないでしょうか。

なお、『さらば宇宙戦艦ヤマト』は、ヤマトが爆沈するさまを「永遠の旅」と表現しました。一方、福井さんの提示するリメイクシリーズのラストも、見方を変えれば「永遠の旅」だと言えます。このあたりの表現をうまく使えば、『さらば宇宙戦艦ヤマト』のラストシーンをオマージュしつつ、リメイクシリーズを完結させることができそうです。