こんにちは。ymtetcです。
『ヤマト2199』第22話「向かうべき星」は、私のなかで”『2199』の歯車が狂い始めた回”の一つで、私は当時”箸休め回”だと考えていました。ただ、改めて観てみると、いくつか意欲的な部分があったように思います。
今日は、そのことについて考えていきます。
『2199』第22話は、前話で発覚した「ガミラスとイスカンダルが二連星」であった流れを受けて、ガミラスとイスカンダルが一つの主題です。ヤマトクルーは当然、「ガミラスとイスカンダルの関係は?」との疑問を持つわけですが、この問いによって、クルーたちはガミラス人とイスカンダル人を理解しようとし始めます。
こうして、「生まれた星が違う人々」の物語を描く第22話がスタートするわけです。
まず興味深いのは、冒頭のディッツと沖田の交渉シーンです。ここでは、沖田の言葉によって、両者が同じメンタリティを持ち相互理解も可能であること、しかし、同じメンタリティを持つからこそ交渉は成立せずに別れてしまうことが語られます。「同じメンタリティを持つことは、必ずしも友好を意味しない」ことが、ここで描かれています。
次に、ヤマト艦内に残ったメルダのわがまま(?)に振り回されるヤマトクルーの描写です。ここで興味深いのは、榎本さんの「女の子っていうのは分からんなぁ」です。性別で人を理解しようとするセリフは現在あまり褒められたものではありませんが、ここで重要なのは、榎本さんが生まれた星によってメルダを理解しようとしていないこと。メルダのわがままに振り回されるなかで、クルーたちは自然に、メルダを「異星人」ではなく「ひとりの人間」として理解していくのです。
そして、第22話を象徴するシーンが、二つの「コスモ女子会」です。
マゼランパフェを食すメルダ、ユリーシャ、山本のコスモ女子会は、ステレオタイプな「恋バナ」形式で話が進んでいきます。そしてセレステラと雪の会食は、より具体的なセレステラのエピソードではありますが、最後は雪の「愛してるの?」の一言で、一般化された形に落ち着きます。
異星人同士で会話をするシーンが圧倒的に多い第22話にあって、共通しているのが「生まれた星の違い」という前提を乗り越える形になっていることです。
第22話に登場する人物の多くが、はじめは「生まれた星」に強い意識を向けています。しかし、異星人との対話のなかで自然に生まれる思考は、「生まれた星」の違いには左右されない、ごくごく一般的なもの。
第22話は、異星人同士の対話を描くことで、「『異星人』の枠組みそのものに深い意味はない」というメッセージを伝えようとしていたと言えます。
もちろん、そこにあったのは、良くも悪くも『2199』らしい、素朴な「相互理解」観です。しかし、一つのメッセージを複数の視点から描くことで観客に訴えかけようとする手法は、『2202』のような骨太な手法でもあります。『2199』第22話は、その意味で、私がかつて考えていた以上に意欲的な回だったのではないか、と考えます。