こんにちは。ymtetcです。
2199最終話は、随所に旧作への回帰が見られました。もちろん、相原のリレー通信といった小ネタもありましたが、何より回全体で「宇宙を旅するヤマトと、ヤマトの帰りを待つ地球」の構図が繰り返し強調されていたことで、旧作のもっていた雰囲気を取り戻したと考えます。
ただ、ここまで旧作への回帰が見られると、もういっそのこと、さらに旧作への回帰を進めても良かったのではないか、と思えてきます。
私が気になるのは、最終盤のコスモリバースのくだりです。
『2199』は、旧作の「蘇る森雪」に、以下のような理由づけをしました。
- 古代守がコスモリバースを用いて森雪を蘇らせる
- コスモリバースは使用不能となるが、死去した沖田によってコスモリバースが再起動される
- 森雪も地球も救われる
コスモリバースシステムの科学的説明はともかく、少なくともファンタジー的な理屈としては説明が成り立っています。
さらに、旧作では「コスモクリーナーによって命を落とした森雪」が、新作では「コスモリバースによって復活する」と、対比的な再構成が行われているところも洒落ています。
ただ、これにはいくつかのデメリットがありました。
- 古代守の魂が森雪に宿ったように見える
- 地球を目の前にしたヤマトクルーの感慨が空虚なものに見える(この時点でコスモリバースが再起動する見込みは立っていないので)
- 沖田の死の余韻が薄まる
では、どうすればよかったのでしょうか。
ファンタジー的な理屈については改変する必要はないと思います。変えるとすれば演出です。
現行2199では、森雪が蘇る仕組みがあまりにも"説明されすぎている"と考えます。理屈はわかりやすいのですが、そこまで"わかる"必要があるのか、は疑問です。
つまり、コスモリバースによって森雪が救われ、沖田の死によって地球が救われるプロセスは、あまり明確に描かなくてもよかったのではないでしょうか。
古代守の幽霊話、進の背後に立つ守、古代守の夢を見る沖田。沖田の死後、ひっそりと再起動するコスモリバース。この最低限の情報があれば、ヤマトファンは考察することができたと思います。一連の説明を最小限にして、旧作通りの「奇跡」を描けたなら、それはそれで、あの最終話に相応しいラストになったのではないでしょうか。