ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

他者と分かり合う物語:私のヤマトリメイク妄想

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事では、「ファンがそれぞれ『第一作の新しいリメイク』を妄想する」ことによって、イデオロギー論争を(一時的にでも)緩和できるのではないかと述べました。リメイクシリーズをめぐって分断が見られる現状はありますが、どこかで「繋がれるもの」があると、少し安心して交流ができるのかな、と今は思います。

さて、そこで今日は、過去作を参照しつつ、私なりに「第一作の新しいリメイク」を妄想していきます。以前コメントで「ymtetcの観たいヤマトを記事にしてほしい」旨の言葉をいただいたこともありましたので、ここでひとつ考えてみたいと思います。

では、ymtetcの観てみたい「第一作の新しいリメイク」とはどんなものか。

私が観てみたいのはガミラス本土決戦の古代から逆算するリメイク」です。

 俺たちは、小さい時から人と争って、勝つことを教えられて育ってきた。学校に入る時も、社会に出てからも、人と競争し、勝つことを要求される。しかし、勝つ者もいれば、負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる? 負けた者は幸せになる権利はないというのか? 今日まで俺はそれを考えたことがなかった。俺は悲しい。それが悔しい!

 ガミラスの人々は地球に移住したがっていた。この星は、いずれにせよおしまいだったんだ。地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった……! 我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛しあうことだった……! 勝利か、クソでも食らえ!

そのために、まずは実写版『SBヤマト』的な古代進像からスタートしましょう。

〇孤独な男・古代進

古代進は家族全員をガミラスとの戦いで失っている主人公です。

ここから出発すると、古代進「地球に守りたいものがない」、”一匹狼”的なキャラクターとして描くことが可能だと言えます。

恐らく『SBヤマト』も、この解釈で物語をスタートさせたのでしょう。冒頭の古代進は周囲への当たりも強く、ヤマトで島と再会するまで「友人」らしき者は描かれません。また、『スターブレイザーズΛ』の主人公ユウ・ヤマトにも通じますね。

「守りたいもの」がない古代は常に孤独で、あるいは”戦うこと”そのものが生きがいになっているかもしれません。アニメ的には、旧作&『2199』のように島を初めから傍にはおかず、『SBヤマト』のようにヤマトで再会する形をとるか、はたまたヤマトで”はじめまして”となるように設定することが必要になるでしょう。

さて、「地球に守りたいものがない」一匹狼としてスタートした古代進は、ヤマトの旅の中で「守りたいもの」を見つけていきます。

〇「守りたいもの」を見つける物語

氷川竜介さんが考察されたように、『宇宙戦艦ヤマト』は集団が旅をする(グランドホテルがロードムービーする)物語です。一匹狼の古代は、ヤマトの航海で"集団"に所属して、そこで出会った人々との間に葛藤を抱えることになります。

兄を連れて帰ってくれなかった沖田艦長、ガミラス人捕虜との出会いと奇妙な友情、時にぶつかりあうこともある親友・島大介、森雪との恋愛、兄の親友だった真田の後悔。旧作や『2199』で描かれたエピソードは、「一匹狼が他者と出会って葛藤を抱える物語」として再構成することが可能です。

また、「守りたいものがない」古代進と「守りたいものがある」他者との対比を、地球との最後の交信や、相原の脱走劇、あるいはイズモ計画派の反乱から描くことができます。さらに、”機械にだって「守りたいものがある」”との主題で、ビーメラ星でのアナライザーのエピソード or オルタとの友情を描くことも可能です。

このように、旧『ヤマト』と『2199』のエピソードを、古代進の「他者と分かり合う物語」を軸に集約させていく、これが私の観たい「第一作の新しいリメイク」です。これは『2199』が「相互理解」をテーマにしていたことにも通じます。

そして、イスカンダルへの旅路のなかで”父としての沖田艦長”、”親友としての島大介”、”兄としての真田志郎”、”恋人としての森雪”など「守りたいもの」を見つけた古代進は、いよいよガミラス本土決戦へと突入することになります。

〇「守りたいもの」を守るために

物語の終盤、七色星団とガミラス本土決戦で、ヤマトは立て続けに危機に立たされます。

この時の古代進にとって、ヤマトが沈み、仲間を失うことは絶対に避けたいことでしょう。家族を失ってから、戦うことだけが生きがいだった古代進は「仲間を守る」ために戦うようになっています。しかし、古代は七色星団で多くの仲間を失います。

『2202』風にいえば、ガミラス本土決戦は古代にとって「もう失いたくない」戦いです。古代は仲間を守るため、「守りたいもの」を守るために、必死になって戦うはず。

でもその結果、古代はガミラス人という「誰かにとっての守りたいもの」を大勢殺してしまう。そこで、冒頭のあのセリフに立ち返るわけです。

 負けた者は幸せになる権利はないというのか? 今日まで俺はそれを考えたことがなかった。俺は悲しい。それが悔しい!

 ガミラスの人々は地球に移住したがっていた。この星は、いずれにせよおしまいだったんだ。地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった……! 我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛しあうことだった……!

一匹狼として戦いを生きがいに生きてきた古代進が、他者と分かり合って「守りたいもの」を得る物語。そしてその果てに、古代は廃墟となったガミラスを見て涙する。

「守りたいものがない」自分から、「守りたいものがある」自分へ。そして、ガミラスに”勝利”して初めて気づく、”他者にも「守りたいものがある」のだ”ということ。古代進の他者理解の物語として、『ヤマト』を再構成していくわけです。

”敵にもやむを得ない事情があった”系の設定は最早使い古されていますが、『ヤマト』という古典だからこそ、敢えてそこを軸に「相互理解」「他者理解」の物語として再構成していくと”それっぽく”なるのではないか、と私は思います。