こんにちは。ymtetcです。
昨日『ヤマトという時代』がBSで放送されました。そこで思い出したのが、『2202』における「加藤三郎の裏切り」です。難病に苦しむ子どもを救うため、ガトランティスとの取引に応じてヤマトを沈めてしまうストーリーは、作り手も批判覚悟とはいえ、現在に至るまであまり評価は高くありません。
では、なぜ「加藤三郎の裏切り」は評価が低いのでしょうか。
旧作、『2199』以来の人気キャラクターにヤマトへの裏切りを演じさせたから、というのが理由ですが、今日はもう少しだけ考えてみましょう。
「加藤三郎の裏切り」の評価が低いのは、それ自体が”加藤三郎である必要のない”エピソードだからだと考えます。また、そのエピソード全体を包んでいるご都合主義も無視できません。
このエピソードを実現するために必要だった設定を整理すると、
- 『2199』:加藤三郎には子どもがいる
- 『2202』:加藤三郎と原田真琴の子どもは難病に苦しんでいる
- 『2202』:ガトランティスにはそれを治す技術がある
- 『2202』:ガトランティスには「悪魔の選択」の風習がある
の4つです。実に3つの設定が『2202』で追加されています。
では、以下で簡単に見てみましょう。
〇加藤三郎である必要のないストーリー
このエピソードを振り返ったとき、つくづく感じるのは「加藤三郎である必然性」の低さです。
すなわち、「自身の子どもの命か、自身と仲間の命か」を選択させられるエピソードにあたって、たまたまキャラクターのなかで子どもを育てていたのが加藤だった、そんなふうに見えてしまうのです。
これがもし、『2199』で「子どもが生まれた」エピソードを描いたキャラクターが違っていたなら、ヤマトを裏切るのはその人になっていたことでしょう。
〇エピソードを包むご都合主義
このエピソードを描くために用意された『2202』の新設定は、
の3つでしたね。
これらの新設定を見渡すと、いずれも設定そのものの作りこみが甘いことが分かります。加藤翼の難病はどんな病気なのか、おそらく宇宙放射線病の類だと思いますが、旧作の設定からのアップデートの形跡が見られず、安直に引用しただけ、との印象は免れません。それに伴って、ガトランティスが提示する治療法も、きわめて曖昧なものになっています。
さらに、「悪魔の選択」です。人生は選択の連続である、と『ヤマトという時代』は一般化して再解釈しましたが、『2202』時点の「悪魔の選択」は完全にズォーダーの趣味です。しかもこれ自体、旧作にはなかった設定です。
〇後付けに後付けを重ねた結果
このように、『2199』の「子どもができた」という設定に、詰めの甘い新設定を後付けで重ねに重ねた結果が、『2202』における「加藤三郎の裏切り」の低評価だと考えます。