ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【旧ヤマト】第13話こそ「愛し合うべきだった」の伏線

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事では、『宇宙戦艦ヤマト』第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」における、古代進の行動について考えました。

「理不尽な暴力」によって両親を奪われた古代進は、同じ「人間」でありながら、そのような行為に及んでいたガミラス人(の捕虜)に対して憤りをぶつけ、殺害しようとします。しかし、ガミラス人捕虜が一転して自決を図ると、古代は彼の「命の大事さを知らない」行動に憤り、「貴様も人間なら、命の大事さを知れ」と叱りつけます。

この一連のシーンは、後の第24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」に繋がります。

ガミラスを滅ぼした古代は、滅んだガミラスの都市を見て、こう語りました。

 俺たちは、小さい時から人と争って、勝つことを教えられて育ってきた。学校に入る時も、社会に出てからも、人と競争し、勝つことを要求される。しかし、勝つ者もいれば、負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる? 負けた者は幸せになる権利はないというのか? 今日まで俺はそれを考えたことがなかった。俺は悲しい。それが悔しい!

 ガミラスの人々は地球に移住したがっていた。この星は、いずれにせよおしまいだったんだ。地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった……! 我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛しあうことだった……! 勝利か、クソでも食らえ!

「命の大事さ」を知っていても

ガミラス本土決戦では、双方に多くの犠牲者が出ました。しかし、ヤマトは地球人類の命運を、デスラーガミラス人の命運を背負っており、後には引けない戦いでした。

この戦いは、ヤマトの勝利、ガミラスの敗北で終わりました。そしてガミラスは事実上崩壊し、多くのガミラス人が犠牲となりました。

「地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない」と語る古代は、この戦いの虚しさに気付いています。

地球人もガミラス人も「命の大事さ」を知っていた。それなのに……いや、「命の大事さ」を知っていたからこそ、それを守るために、人間は戦ってしまう。

ヤマトという存在は、ガミラスの人々にとっては、古代にとってのガミラスと同じ「理不尽な暴力」であったことでしょう。古代はそれに気づいたのです。

「人間」が(命の大事さを知る)「人間」であるからこそ、人間は戦ってしまう。だから、「戦う」ことは虚しいことであり、そこに「勝利」などない。互いに「命の大事さ」を知っているのだから、しなければならなかったことは「愛し合うこと」である。

これがガミラス本土決戦を経た、古代進の結論であったと言えます。

この考え方は、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に引き継がれ、それを原作とする『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』にも繋がっています。

人間が人間である限り、愛という業からは逃れられない。

絶望を知れ。殺し合いの果てにすべてを焼き尽くし、滅びる……それが人間。

(ズォーダー:『ヤマト2202』)

「命の大事さ」に相当する言葉は、『さらば』『2202』では「愛」でした。人間性、戦いの虚しさ、といった第一作『ヤマト』が提示したテーマは、『さらば』によって拡大され、そして『2202』以降の福井ヤマトにも受け継がれていると考えます。