【旧ヤマト】なぜ古代は捕虜の自決を阻止したのか
こんにちは。ymtetcです。
『ヤマト』劇場版を観て、最初に観たくなったのが、『ヤマト』テレビシリーズ第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」でした。漫画『はだしのゲン』をほうふつとさせる、戦時中の日本をモデルとした「古代進の幼少期」の描写が印象的な回ですね。
第13話は、かつて、10代や大学生だった頃の私には、少し理解の難しいシーンがありました。それが、一度は殺そうとしたガミラス人捕虜の自決を、古代進が阻止して、𠮟りつけた場面です。
「貴様も人間なら、命の大事さを知れーっ!」。
殺そうとした相手の自決を、古代進は、なぜ阻止したのか?
この時の古代に通底していたのは「理不尽な暴力への憤り」だったと考えます。
回想シーンで描かれたもの
捕らえたガミラス人捕虜を診察した佐渡先生は、ガミラス人を「地球人と同じ人間」だと診断します。これを聞いた古代進は、我を忘れて捕虜にナイフを突きつけます。
この直後に挿入されるのが、幼少期の回想シーンでした。
回想シーンで描かれたのは、古代進が争いを好まぬ大人しい少年あったこと、帰省した兄にばかり注目が集まる様に嫉妬する「よくある弟」の一人であったこと、そして彼の両親もまた、当時としてはごく普通の、一般的な家族であったことです。
「おふくろの寿司は美味いからなぁ」。こうしたさりげないセリフが、「昭和の家族」としてのリアリティを生んでいます。しかし進は、そんな両親を、ガミラスの遊星爆弾によって布切れ一枚に変えられてしまう。
ここに描かれているのは、当時としてはステレオタイプな「普通の家族」が、「理不尽な暴力」によって破壊されてしまう様子です。
「ガミラス人も同じ人間であった」との事実
ガミラス人の捕虜を捕らえた古代は、初めからガミラス人を殺そうとしていたわけではありません。感情のスイッチが入ったのは、佐渡先生がガミラス人を「人間」と診断した時でした。それは古代が、「ガミラス人も同じ人間であった」事実に大きな憤りを感じたことを描いていると考えます。
古代は、「同じ人間」であるガミラス人が(到底「人間」のすることとは思えない)「理不尽な暴力」によって、両親の命を奪ったことに憤ったと言えます。言い換えれば、古代は、ガミラス人が「人間」であるにも関わらず、罪のない他者の命を奪うという「命の大事さを知らない」行動をしてきたことに怒りを覚えているのです。
理不尽な暴力への憤り
さて、島の制止によりガミラス人捕虜の殺害を思いとどまった古代ですが、そのはずみで床に転がったナイフが、ガミラス人捕虜の手に渡ります。そしてガミラス人捕虜は、他ならぬ自分にナイフを突きつけ、「総統万歳」と叫び、自決を図ります。
古代にとっては、彼が自決を図ったことと、彼らガミラス人が理不尽に両親の命を奪ったことは、同じ行動に見えたのではないでしょうか。
ガミラス人は「人間」なのに、「命の大事さを知らない」、と。
そして古代は、ガミラス人捕虜の自決を阻止し、こう叫ぶわけです。
「貴様も人間なら、命の大事さを知れーっ!」。
自分の命も他人の命も、大事にしろ。このような言葉は、古代進が「根っからの好戦的な性格」であれば説得力を持たなかったでしょう。しかし、彼が「元は優しい少年だった」ことが描かれたこそ、この言葉に説得力を与えることができたと考えます。
10代や大学生の頃の私には、古代の行動は一貫性を欠いているように思えました。しかし、これが「(自己や他者への)理不尽な暴力への憤り」の表出であったと考えると、古代の行動には、一貫性があるなと思いました。