ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】ナミガワ様のコメントを読む

こんにちは。ymtetcです。

いつも、いただいたコメントからはたくさんのことを学ばせていただいております。

今回は特に考えさせられるものであったため、紹介します。

なお、本日時点では、この問題について私も明確な答えを持ち得ているわけではありません。今日はコメントを読みつつ、仮説的な感想を提示していきたいと思います。

先日更新したこちらの記事に、ナミガワ様よりコメントをいただきました。

ymtetc.hatenablog.com

こちらに全文引用するのは憚られるので、全文はこのリンクからご覧ください。

さて、いただいたコメントの中にはたくさんの気づきがありましたが、特に今日、私の印象に残ったのはこの部分です。

ymtetc様は「ガミラスイスカンダルの利益より地球の利益を優先する」政府の態度は、「『人命を重んじる地球の平和主義』という看板……地球が掲げる理想像とは矛盾して」いると指摘されています。土門、古代が後者を支持することで、ヤマトと地球政府との対立が生じていると。
これは、「人類最後の希望」論からするとなんとも奇妙な状況です。ヤマトの存在は、別に「人類最後の希望」として機能しているわけではない。それどころか、他国の紛争に積極的に介入して、かえって祖国に危険を招来しかねない、「人類最後の希望」にあるまじき行為かもしれない。それでもヤマトは行動する。

『2205』で古代たちが支持した「地球が掲げる理想」は、地球人類を最後まで守り抜く「人類最後の希望」の在り方とは反する思想になりうるとの指摘です。これについてナミガワ様はさらに、「軍人としての規範から逸脱したとしても自らの理念に忠実であろうとする古代らの思想」とも表現しておられました。

そしてナミガワ様は、「『新たなる旅立ち』という作品自体は、シリーズ中屈指の異色作・失敗作というわけではなく、(略)順当なリメイク作である『2205』が、ファンからの手堅い評価を得ている」と指摘しておられます。

 

以前より、私は「人類最後の希望」という視点で『宇宙戦艦ヤマト』の物語は読み解けるのではないか、「人類最後の希望」といったヒーローとしての一面に、『宇宙戦艦ヤマト』の「らしさ」があるのではないか、と述べてきました。

その記事は、こちらのカテゴリーにまとまっています。

ymtetc.hatenablog.com

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一方、今回のナミガワ様の指摘は、「人類最後の希望」としてのヤマト像に反しかねない汎宇宙的な「人命を重んじる理想」も、ファンが『宇宙戦艦ヤマト』から感じ取る「らしさ」の一側面であると示唆するものであったと思います。

実際に、『2205』の古代はこう述べています。

平和を求め、争いを憎む、地球人の理想に基づいて、ヤマトは1人でも多くの人を救出する!

ここで古代が語っているのは、汎宇宙的に「平和を求め、争いを憎む」ことが「地球人の理想」であり、そのためにヤマトは、イスカンダルガミラスから「一人でも多くの人を救出」しなければならない、ということです。ここで描かれている「宇宙戦艦ヤマト」像は、「人類最後の希望」ではありません。

宇宙戦艦ヤマト」は、汎宇宙的な平和のために戦うのか、それとも地球人類を守るためだけに戦うのか。必ずしも矛盾するものではありませんが、ナミガワ様は、「“たとえ『反乱』を起こそうとも『理想』を実現しようとする態度”と、従来の『人類最後の希望』なる存在形態は、このままいけば対立概念に発展する可能性すらある」と指摘しておられます。

『2202』『2205』を通じてリメイク・ヤマトが確立しつつある「“たとえ『反乱』を起こそうとも『理想』を実現しようとする態度”」という「らしさ」と、私が「らしさ」として提示してきた「人類最後の希望」の間にある溝を、どう捉えるべきか。

冒頭部にも書いたように、本日時点で私はまだ明確な答えを持っていません。

ただ、ナミガワ様による指摘、特に先ほど私が「汎宇宙的な平和のために戦うのか、それとも地球人類を守るためだけに戦うのか」と表現した部分の指摘を読んだ時、咄嗟に浮かんだのが「ヤマト10年の賦」の歌詞です。

……

それから時が過ぎ 何度ももえて

ただ愛だけで とび立っていた

すべての星よ 緑に染まれ

願いよ届けと とんでいた

ヤマトよ二度と 傷など負うな

……

この歌の歌詞がいかなるコンセプトで書かれたものなのかは私も詳しくありませんが、『完結編』に寄せられたこの詞にも、「汎宇宙的な平和を求めて戦う宇宙戦艦ヤマト」の姿が描かれています。

そこで浮かんだ仮説は、「ヤマトは旧作において、ある一定の段階から『汎宇宙的な平和のために戦う』視点を導入しはじめた」というものです。すなわち、当初こそ「人類最後の希望」の一点だけであった『宇宙戦艦ヤマト』が、ある段階から「汎宇宙的な平和のために戦う」役割も同時に担うようになったのではないでしょうか。

私がここで想定する「ある段階」は、第一作『ヤマト』のガミラス本土決戦、あの古代進の涙です。そして、これを真っ直ぐに継承した『さらば宇宙戦艦ヤマト』の古代進が、ズォーダーに対して「汎宇宙的な平和」を説いて戦った。こうして、ヤマトには「人類最後の希望」だけでなく「宇宙平和の使者」としての役割が付加されていったのではないかと思います。

このように、第一作と『さらば』の物語を(単に「人類最後の希望」としてのヤマト像を確立するだけではなく)「宇宙平和の使者」としてのヤマト像を提示した作品であると捉え直した時、現在のリメイクヤマトもその観点から捉え直すことができるのではないか、との予感がしますね。

この問題は引き続き、考えていきたいと思います。