ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『ヤマト2205』製作委員会が追悼コメントを発した意味

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2205』公式が松本零士さんに対する追悼コメントを出しました。どのような意図で発されたものかは分かりませんが、私はどこか感慨深いものを覚えました。

今日は、『2205』公式による追悼コメントが、なぜ感慨深いものとなったのかを考えていきたいと思います。

〇その名の重み

まずは、リメイクシリーズで明確に「松本零士」さんの名前が明示された、おそらくは初の例だということです。これまでもヤマトーク等でスタッフの方が言及されたり、彰司さんがオフレコ的に言及したことはあったかと思いますが、明確に言及されたのは今回が初めてなのではないでしょうか。

本編であれだけ松本零士さんをリスペクトしていながらも、”大人の事情”によって表立って言及することができなかったその名前を、公式が言及した。それは大きな一歩になり得る出来事だと思います。松本零士さんの功績を、表立って再評価する第一歩です。

〇特別扱い

ファンは松本零士さんが『ヤマト』にどれほどの功績を残しているかを知っていますから、リメイクシリーズの公式がそのお名前に言及するのは当然のように感じるかもしれません。しかし、公式見解としては非常に難しい判断に迫られます。

松本零士さんが『ヤマト』のどの点に功績があり、それがどのような意味を持つのか、それはかつて裁判で争われた事項でもあり、安易に言及はできないからです。

追悼コメントを読むと、松本零士さんには「先月亡くなられた」との言葉しか付されていません。「〇〇に貢献された」とか、「××を作られた」といった言葉は付けられていない。これは、かつて裁判で争われた事柄について、今でも慎重な判断が必要なことを伺わせてくれます。これだけ見ると、今回の追悼コメントはどこか無機質にも見えます。

ですが今回、なぜ公式は松本零士さんの追悼コメントを出したのでしょうか。普段、旧作スタッフの動向にまるで興味を示さないリメイク・ヤマト公式が、なぜ松本零士さんには追悼コメントを発したのでしょうか。

これは松本零士さんが『ヤマト』に多大な功績を残したことを、公式が暗に認めたのと同じなのではないかと考えています。つまり、追悼コメントが出されること自体が、松本零士さんが『ヤマト』にとって重要なスタッフであったことを認めているのと同じなのです。

 

私自身、90年代末から00年代初頭の「原作:松本零士」時代に『ヤマト』と出会った人間ですので、その思い入れが強すぎるかもしれません。『復活篇』以降は反動のように西﨑Pを支持してきたことへの後ろめたさがあるのかもしれません。

しかし、今回の追悼コメントを読んだとき、また、イベントの感想で「松本零士さんの写真をスクリーンに映して黙とうをした」との報告を読んだとき、どこか心のなかにあった凝りがほぐれていくような、そんな感覚がしました。

松本零士さんだけを『ヤマト』の作者と考えるのも間違っているけれど、アンタッチャブルな存在として避け続ける現在の『ヤマト』も、それはそれで正しくないような気がするのです。再び「松本零士作品としての『ヤマト』」に光が当たって欲しい。今回の「製作委員会一同」の決断が、わだかまりを解してくれたらいいなと思います。