ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『ヤマト2202』メカデザイン論争はなぜ再燃しやすいのか

こんにちは。ymtetcです。

近頃「X(旧Twitter)」を見ていると、『ヤマト2202』のメカデザインに関して、一種の論争のようなものが繰り広げられている様子を時々目にします。

完結から5年が経ち、『2202』の反省に立つ続編『2205』の公開さえも久しい現在、なぜ何度も何度も『2202』メカデザイン論争は再燃してしまうのか。

今日は、その背景の一端を考えたいと思います。

①旧作の世界観に沿わない『ヤマト2202』メカ

まず、大前提として、『2202』のメカデザイン、良し悪しはあるにせよ、「旧作の世界観に沿ったメカデザイン」とは言い難いものでした。これは共通認識と言えるでしょう。

②一部のファンが傷ついた『ヤマト2202』体験

次に確認したいのは、『ヤマト2202』を観る過程で「傷ついた」、さらにいえば、『2202』に「傷つけられた」経験をもつファンが少なからず存在する点です。

一つに、「旧作の世界観に沿わないデザイン」を受け入れられず、”旧作の世界観を汚された”と感じたファン。彼らの心は大いに傷ついています。

そして、そのことに関して、デザイナー自身とやりとりをして、厳しい表現のツイートや「ブロック」機能などで”攻撃された”と感じたファン。彼らの心は大いに傷ついています。

このように、「あの作品は自分を傷つけた存在である」と考えるファンがいてもおかしくない状況こそ、『ヤマト2202』が作り出した現在なのです。

③世間に溢れる「世界観に沿ったメカデザイン」

ところが今の世間、「世界観に沿ったメカデザイン」の作品は溢れています。「世界観に沿ったメカデザイン」の重要性を説くクリエイターも山ほどいます。『2202』の前作である『2199』、『2202』の続編である『2205』でさえ、その一つです。

『2202』で傷つけられた経験を持つファンは、そうした「世界観に沿ったメカデザイン」の作品やクリエイターに触れるたび、『2202』で負った傷を想起する

「ああ、『さらば』のリメイクが(『2199』の続編)がこんなメカデザインだったら」。それは、一種のトラウマ状態に近いとも言えます。

④”粘着”と感じる『2202』ファンの心理

ところが、これは『2202』ファンからすると、気分を害するものです。

『2202』とは全く縁のない作品を褒めると同時に、『2202』を批判される。『2202』の話題など一言も出ていないのに、『2202』への嫌味をチクリ。

これは『2202』ファンからすれば、一種の”粘着”のように見えます。明るいバラエティ番組を見ていたら、とつぜん宗教や政治思想の開陳が始まった……そんな感覚に近い感情を、一部の『2202』メカファンは抱いていると考えます。

さらに、『2199』『2202』『2205』三作品のファンからしても、これは非常に居心地が悪い。『2199』や『2205』を褒めると同時に『2202』を貶されれば、本来一致できるはずの『2199』『2205』のところも賛同できなくなる。『2199』や『2205』の良さを語り合っていたはずなのに、『2202』が同時に批判される。

『2202』メカ批判が、『2202』ファンからの反論に遭いやすい理由の一端がここにあります。

⑤エコーチェンバー現象

最後に、「エコーチェンバー現象」について言及しておきましょう。

ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたもの」。

ご存じの方も多いと思いますが、これは特定の作品に対する賛否が、いわゆる「徒党」の結成に繋がりやすいことを示す考え方とも言えます。

すなわち、『2202』批判にせよその反論にせよ、戦っている人や、その仲間として「いいね」を押している人たちは”いつものメンバー”。これはお互いが、何らかの「集団」によって攻撃されている、との感覚を抱きやすくなることに繋がっています。

 

このように、互いに傷つけ合い、傷つけられているのが『2202』メカ批判と言えます。起点は作品とその作り手にあるにせよ、私個人の意見としては、ファン個人が自ら立ち止まり、自衛することも可能だと考えます。