こんにちは。ymtetcです。
『宇宙戦艦ヤマト』は、面白いほどに「完結」できません。
その背景には、強固な既存ファンという商業的な理由もありますが、思想的な面でも「完結」できない理由があると考えます。
今日は、旧『ヤマト』のイメージソングである「ヤマト10年の賦」の歌詞に注目して、『宇宙戦艦ヤマト』が「完結」できない理由を探ります。
- 〇「ヤマト10年の賦」が語る『ヤマト』の最終目的地
- 〇実現不可能に近い「ヤマト10年の賦」
- 〇福井晴敏の語る「『ヤマト』の完結」
- 〇『さらば』という「永遠の航海」エンド
- 〇現実味を帯びる「永遠の航海」エンド
〇「ヤマト10年の賦」が語る『ヤマト』の最終目的地
それから時が過ぎ 何度も燃えて
ただ愛だけで とび立っていた
すべての星よ 緑に染まれ
願いよ とどけと 翔んでいた
ヤマトよ 二度と傷など負うな
お前に花と やさしい歌を
にぎわう友らの はしゃいだ声や
ウェディング・ベルでも 聴かせよう
「ヤマト10年の賦」にあるこの一節は、宇宙戦艦ヤマトの戦いの最終目的地を表していると考えます。
ヤマトは、なぜ何度も飛び立つのか? それは「愛」ゆえである。ヤマトが求め、願うのは「すべての星」が「緑に」染まること。そこには「花」があり、「やさしい歌」と「はしゃいだ声」、「ウェディング・ベル」が響く。
すなわち、平和。
ヤマトは、「すべての星」が平和になるまで「何度も」とびたつ。
『宇宙戦艦ヤマト』が思想的に「完結」する時、それは、「すべての星」が平和になる瞬間が、説得力をもって描かれた時なのです。
〇実現不可能に近い「ヤマト10年の賦」
この宇宙の「すべての星」が平和になる瞬間を、説得力をもって描くこと。果たしてそれは、可能なのでしょうか。
これまでも、そして今も続く世界の紛争・戦争。社会の末端に至るまで起こる小さな衝突と対立。現実の世界は、”「すべての星」の平和”を肯定してはくれません。限りなく、実現不可能に近いと言えます。
〇福井晴敏の語る「『ヤマト』の完結」
上記の過去記事で説明したように、『2202』『2205』『3199』の福井晴敏さんは、リメイクシリーズの行きつく先として、以下の2種類を示唆しています。
幾多の試練を乗り越え、「古代アケーリアス人だけが知っている人が宇宙で果たすべき役割」を果たし、約束された理想郷に人々を導く――もしくは、”愛”ゆえにそれを拒み、人が不完全であり続けることを肯定する物語。その場合、ヤマトは人が人であり続けることを選択した責任を取って、一万年後もどこかで続いている戦争を止めるために永遠の航海を……
①「約束された理想郷に人々を導く」エンド。
②「どこかで続いている戦争を止めるために永遠の航海」エンド。
前者が明確な「完結」を志向したもの、後者が「俺たちの戦いはこれからだ」的、エターナルな「完結」を志向したものだと言えます。
〇『さらば』という「永遠の航海」エンド
実は、②に近い「完結」を提示したのが『さらば宇宙戦艦ヤマト』です。
あなたのおかげで人々は目覚め、より美しい地球と、宇宙のために働くことでしょう。
テレサのこのような言葉と共に幕を閉じる『さらば』ルートの『宇宙戦艦ヤマト』は、古代進の行動により「人々は目覚め」「より美しい地球と、宇宙のために働く」ようになる……と主張して、物語を思想的に「完結」させました。
これは、古代進の行動を観た人々が「目覚め」、”「すべての星」の平和”に向かって生きるようになる(だろう)としたものです。
いわば、「俺たちの戦いは終わった。君たちの戦いはこれからだ」と、画面の向こうにいる少年少女たちにバトンタッチして幕を閉じた、それが『さらば宇宙戦艦ヤマト』だったと言えます。
〇現実味を帯びる「永遠の航海」エンド
『さらば』からバトンを渡された40年間の世界は、決して古代やテレサが語ったような平和を実現するには至りませんでした。それゆえ、『さらば』と本質的に同じ結末では、十分な説得力を持つには至りません。
現代を生きる我々にとって、よりリアルに迫ってくるのは、福井さんの提示する「永遠の航海」エンドだと考えます。あたかも『2520』のような「第〇代ヤマト」が、どこかで続いている戦争を止めるために旅立つラスト。
しかし、これでは「明日への希望」が足りません。『さらば』のラストが提示したように、”いつかは「すべての星」の平和が実現するかもしれない”という「明日への希望」を提示してこそ、『ヤマト』の結末として後味のよいものとなるでしょう。
説得力ある「理想郷」を提示するか、「明日への希望」に満ちた「永遠の航海」を描くか。『ヤマト』が思想的に完結するためには、難題を乗り越える必要があると言えますね。