YAMATO2520の音楽集を買ったので色々見ていく その2
↓前回の記事です。
こんばんは。ymtetcです。
前回は2520音楽集の全体像と、ブックレットの「私がアニメ作品に関して常にクリエイターに求めるもの、そして一番にこだわるのが色彩に対する感性です」という部分を紹介してみました。
前回は画面上の世界観づくりという部分でしたが、今回は音楽について見てみます。
この音楽について、西崎EPはこう述べています。
私にはこれまでの40年間という仕事のキャリア、人生観を通して「映像、音楽、ドラマ」の3つを融合させるのが自分のスタイルだと思っているし、2次元世界のアニメーションにリアリティーを持たせるのは音楽だ、という確信があります。
「映像、音楽、ドラマ」の融合こそが、ワンサくん、宇宙戦艦ヤマトなどの「西崎作品」を貫いてきた西崎EPのスタイルだということのようです。
さらに、音楽においても、西崎EPには一つのこだわりがありました。
MJQ(マンハッタン・ジャズ・クインテット──引用者)で名高いデビッド・マシューズ氏とは、偶然の出会いがあったわけですが、ミード氏のデザイン・ボードを見せて、またまた例の「宇宙は海で、YAMATOは宇宙船じゃなくて船なんだ…」の話を延々としたら「面白い。やってみよう」と。
ミード氏にも伝えたという「宇宙は海」「YAMATOは船」。これは2009年の復活篇にも「宇宙は海。貨物船が俺の船だ」という台詞として残っています。
世界観を構築するビジュアルイメージを一新し、音楽もガラリと変えた2520。それでも西崎EPは「『映像、音楽、ドラマ』の融合」と「宇宙は海。YAMATOは船」という根本理念は、従来のヤマトと変えることはなかったのです。
この二点こそ、いかなる宇宙戦艦ヤマト作品にも欠いてはならない要素なのでしょう。現に、西崎さん亡き後の2199、2202もこの要素は変えていないように思います。
今後のヤマト作品を想う時、必ずしも旧来の要素に縛られてはいけないと考えます。音楽に関しても、羽田健太郎系列の山下康介さんや、宮川泰系列の彬良さんしか「ヤマト音楽」を作れないというのは正直寂しいですし、広がりがありません。
「ヤマト音楽」をどこまで抽象化して、理念化するかが課題だと思います。
その点において、「宇宙は海。ヤマトは船」というイメージは一つのヒントになりそうです。例えば福井晴敏にヤマトを書かせたように、著名な音楽家に「宇宙は海。ヤマトは船」をテーマとした音楽を書かせることはできないか。そういった方向性を探るのも面白そうですね。
最後に一言。