ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

レビューは天気予報?

こんにちは。ymtetcです。

皆さんは映画観賞や外食の際、ユーザーレビューを事前にチェックしたことがありますか。

恐らく、一度もチェックしたことのない方はそうそういないのではないでしょうか。

ですがその一方、レビューの利用頻度については、毎回必ず利用する人、必ずしも毎回は利用しない人など、個人によって濃淡があるかと思います。

さて、先日の記事「安田賢司監督『ソマリと森の神様』最終回を迎えて」で、『ソマリと森の神様』という作品を紹介しました。これは私個人の「レビュー」の気分で書いたものでした。そして、どうせなら(画像を記事のサムネイルに設定できるので)Amazonのリンクでも貼ろうと思い、『ソマリと森の神様』の配信作品ページを訪れました。

そこで、作品のレビューが目に入ってきたというわけです。そのレビューは、私の評価とは少し異なるものばかりでした。

 

実はブログを始めてから、『宇宙戦艦ヤマト』だけを観ていては視野が狭くなると思い、色々な作品に目を向けるようにしていました。まだ何も書いていませんが、いつか『宇宙戦艦ヤマト』以外の記事も書けるように、サブブログ「ymt"etc"のブログ」も設置しています。

そして、『宇宙戦艦ヤマト』以外の作品を観るにあたっては、私なりにルールを定めています。

  1. 鑑賞前にレビューを見ない
  2. 当該作品の「ファンの声」に過度に耳を傾けない
  3. 鑑賞後にレビューを見ない

の三つです。1番目のルールは、先入観を持たないための試みです。「駄作」を「駄作」として「名作」を「名作」として観るのでは、どこかつまらないですからね。

2番目のルールは、『宇宙戦艦ヤマト』での経験を踏まえて定めたものです。私自身、新しい『宇宙戦艦ヤマト』に対して、どこか「自分を満足させる」ということ以上に「ファンを満足させる」ことを求めているように感じています。それは悪いことではないのですが、どうせ新しく作品を観はじめるなら、「自分を満足させる」という一点だけに絞って作品を観てみたい、と思ったわけです。

そして、3番目です。これは2番目と関係があります。「自分が満足したかどうか」が評価の基準なので、他人のレビューは関係ないわけです。

さて、このようなルールに基づいて『ソマリと森の神様』も鑑賞したわけですが、冒頭で述べたように、ひょんなことからレビューを見てしまうことになりました。

そこで感じたことが、今日のタイトル「レビューは天気予報?」というわけです。

 

天気予報とは素晴らしいもので、大抵の場合当たります。ですが、天気予報には傘のマークが記されていたのに結局傘が必要なかったり傘のマークは記されていなかったのに結局傘が必要になることがあったりしますよね。

どうしてこんなことが起こるのか?を突き詰めていくと、結局、天気予報は一人のための天気予報ではないからという答えに行きつきます。

天気予報は、その人が何時に家を出るとか、どこに家があるとか、何時に電車に乗るとか、何時に外を歩くかとか、何時に洗濯物を干して何時に洗濯物をしまうかとか……そんなことを考えて、傘マークを出したりしません。ですから傘マークがあるからといって、必ずしもみんな傘が必要なわけではありません。

当たり前のことを言うな、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。

天気予報の傘マークが、全員に当てはまるわけがありません。

ですから私たちは、もっと詳細に天気予報を見ていきますよね。

降水確率はもとより、各種「天気予報」サイトを利用して、自分の住む地域では何時から何時までどれくらいの雨が降るかをチェックしたり、「雨雲レーダー」などを利用してより詳細に予測を立てたりします。そうすると、意外にも雨が降るのは早朝のわずかな時間だけであったり、お昼前後だけだったり、あるいは雲マークなのに夕方天気が崩れる予報だったり、といったことが分かってきます。

これを見て、私たちは「今日は傘いらないな」とか、「今日は折り畳み傘にしよう」などと考えて、その日の行動を決めていくわけです。

 

このことは、レビューにも当てはまるのではないでしょうか。

ついつい私たちは、レビューの総合点数や個別レビューの星の数ばかりを気にしがちです。ですがそれは、天気予報の傘マークの有無しか見ないのと同じこと。

天気予報の傘マークの有無しか見なければ、必要のない時に大きな傘を持っていってしまったり、必要のある時に傘を持っていなかったりすることがあります。

もちろん、天気予報ならばそれでもいいかもしれません。

ですが作品やレストランとの出会いは、少なくない時間と資金の出費を伴います。だからこそ、私たちは事前にレビューを見るわけです。

ですが、そこで点数ばかりに注目して選択肢を減らしてしまったら、レビューを見てしまったがためにさらに「もったいない」ことになってしまいますよね。

 

冒頭の『ソマリと森の神様』を題材に、具体的な話に戻してみましょう。

実を言うと、私の中で本作を点数にするならば、「3.5~4/5」点です。アマゾンレビュー「Amazon.co.jp: ソマリと森の神様を観る | Prime Video」の評価はさほど私の評価と乖離してはいません。

問題は、「トップレビュー」たちです。

トップレビューでは、本作に対する批判的な見方が半分くらいを占めています。7割の人が本作に「星3」以上をつけているにも関わらず、です。これは他の作品にも当てはまることで、恐らく不満を抱いた人には共感するレビューを探してサイトを訪れる傾向があるんだろう、と勝手に考えていますが、そこは問題ではありません。

重要なのは、これらの「トップレビュー」が、肯定的にせよ批判的にせよ、全て1月の時点で書かれているという点です。

1月の時点での『ソマリと森の神様』は、私でも「これ大丈夫か?」という出来栄えでした。それはアニメーションとしてクオリティが低い、という話ではなく、作品としてどこか拠り所がないというか、「この物語は何を軸に進めていくのか」という点が、観ているこちら側にはっきりとは伝わっていなかったのです。

それが第5話でしょうか。二人の新しいキャラクターが登場するのですが、このあたりから作品の軸が少しずつはっきりとしてきます。この作品の評価を(「途中で切った」という意味での低評価は別にして)結論的に下すには、せめて5話から6話あたりの内容で、欲を言えば最終話までを語る必要があります*1。それは賛否を問わずです。

そういった意味で、賛否を問わず本作の内容面については、Amazonのレビューたちにはあまり価値がないと言えます。

ですが、否定的なレビューをしっかりと読むと、原作ファンからの主人公・ソマリに対する「解釈違い」が批判の一つのポイントとなっていることが分かります。これはどの話数まで観ていようとあまり関係ありませんから、注目すべき批判点だということが分かります。また、いわゆる異世界」ものとしては、『ソマリ』の「異世界」観の掘り下げが他作品と比べて劣っている、あるいは他作品との違いやオリジナリティを発揮できていない、ということも指摘されています。

肯定的なレビューからは、親子をめぐるドラマがいい、という意見も見られます。親子をめぐるドラマは最終話まで一貫していた部分なので、参考に値するでしょう。

『ソマリ』のAmazonレビューからは、原作ファンや「異世界」ものを求めて本作を観る人にとって本作は「雨」かもしれない、ということが分かる一方で、親子のちょっぴり切ないドラマを観たいという人には「晴れ」かもしれない、というわけです。

 

このように、レビューを見る時は批判点、あるいは肯定されている点がどこにあるのかをしっかりと読み解いていくことが欠かせません。

分かりやすい点数にばかり注目するのではなく、「自分が何を求めているか」ということを自覚しながら、「レビューを寄せているユーザーが何を求めて」「何に満足し」「何に不満だったか」を丁寧に見ていく必要があるでしょう。そうすることで、レビューを通じて、その作品と自分自身がマッチしているかどうかを見極めていくのです。

こんな風に考えながら、やっぱり私はレビューを見ない方が作品を楽しめるかな、と改めて思う、ymtetcなのでした。

*1:しかし、気に入らない作品を最終話まで観ることを求めるのは酷。