ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】「シナリオ」を読む──第一話

こんにちは。ymtetcです。

2020年5月4日の記事「「構成メモ」から見る『ヤマト2202』の『2199』要素 - ymtetcのブログ」では、『シナリオ編』の「構成メモ」に着目して、そこから『2199』要素を抜き出す、という作業を行いました。そして、その作業のひとつの成果として、

ymtetc.hatenablog.com

5月6日の記事を投稿しました。

今日はこれに引き続き、「『シナリオ』を読む」と題して、第一話「西暦2202年・甦れ宇宙戦艦ヤマト(仮)」のシナリオを読んでみたいと思います。

第一話シナリオを読むにあたって注目するのは、本編との微妙な違いです。

特に第一話は、公開当初、すなわち2017年2月25日に発売された劇場限定版BDにもシナリオが付属していたとあって、本編との相違が注目されてきました。そこには「このシーンは本編にあった方がよかった」という”シナリオ上げ、本編下げ”の文脈だけではなく、「このシナリオが20分に収まるわけないだろ」などという”シナリオ下げ、本編擁護”の文脈もありました。

さて、このシナリオの土台となった「構成メモ」を読むと、この第一話の”骨”となっているのは、

  • 白色彗星のテレザート侵攻と放たれる”祈り”
  • 地球、ガミラス連合軍による戦闘
  • 駆逐艦の艦長として戦闘に参加する古代(冷や飯食いが続き、3年前の明るさはない)
  • 連合軍が押され、アンドロメダ波動砲を放つ
  • ガトランティス艦隊の一隻が地球の艦を追ってワープ、古代が追いかける
  • ヤマトがこれを迎撃し、直後テレサの”思念波”が届く

この六つの要素です。

こうして見ると、本編『2202』の第一話は、実は「構成メモ」の要素を漏らさず回収していることが分かります。

ですが、「シナリオ」と本編の差異は決して少なくありません。それは「四脚歩行戦車」が小林メカの「ニードルスレイブ」に変わっている、といったデザイン面から、シーンごと消えてしまったものまで様々です。

その中で、今日は戦闘シーンの描写に注目してみます。

 

ガミロニア奪還作戦をめぐっては、シナリオ側には紋様ゼルグートや「臣民の盾」が存在しないことから、本編に比してシナリオ側が高く評価されがちです。

ですが、戦闘シーンそのものに関しては、シナリオ側も決して充実していたとは言えません。

〇戦場宙域

ガス雲の中を飛び交うビーム。爆光が閃く。

直撃を受け、大きく大勢を崩す地球の駆逐艦。僚艦が反撃する。

火線をかいくぐり、急接近するガトランティス側の駆逐艦一隻が爆沈しても、ものともせずに突っ込んでくる

ガミラス艦からの火線が、側面からガトランティス艦を狙う。散開して、ガミラス艦隊の方にも向かうガトランティス艦。

印象として、機動性が段違い。地球の駆逐艦はもとより、ガミラス艦もその起動力に翻弄されている。 

(『シナリオ編』5~6頁、下線は引用者) 

これは戦闘開始直後の描写です。一見すると戦闘シーンのト書きとしては充実しているように見えます。ですが、ここには戦場を俯瞰した「艦隊戦」としての構想が決定的に欠けています。むしろ、「一隻が爆沈しても、ものともせずに突っ込んでくる」「機動性が段違い」の描写を通じてガトランティス軍の性質を示すことができればそれで十分、といった考えがここから伺えます。

そして注目すべきなのは、直後にカメラがルーゲンス司令の座乗するガミラス艦隊旗艦へと移ることです。

ガミラス艦隊旗艦

擦過弾を受けて大きく傾ぐ。

その艦橋。激震と轟音の中、

ルーゲンス「ええい、地球の連中は踏み込みが甘い! これではガミロニアに近づくことも――」

オペレーターGの声「右舷下方、敵艦近づく!」

ぎょっとなるルーゲンス。スクリーンいっぱいに近づくガトランティス艦。

と、突然その船体が爆発し、四散する。

激しい閃光に、思わず顔を背けるルーゲンス。すぐさま目を開ける。

スクリーンの向こう、上方から火線を打ち散らしつつ飛来する地球の駆逐艦が見える。

一隻だけ艦隊から離れ、戦闘機のような機動で火線をくぐり抜ける。

(『シナリオ編』6頁、下線は引用者)

ここでは、視聴者の目線をガミラス隊司令のルーゲンスに合わせてあることが分かります。「戦闘機のような機動」で動いているのが古代のゆうなぎです。

ゆうなぎ無双のスペクタクルを映した後、カメラはゆうなぎの艦橋へと移動します。

オペレーターAの声「タイコンデロガよりゆうなぎ! 先行しすぎている。隊列を乱すな!」

〇ゆうなぎ・艦橋

激しい機動に備え、全員が着席している。

苛立たしげに応答する南部副長。

南部「状況を見ろ! お行儀よく隊列を組んでいる場合か!

グオーンと急旋回するゆうなぎ。横殴りのGに堪えながら、なおも無線に叫ぶ南部。

南部「こっちを真似するように全艦に伝えろ。戦闘機みたいに飛ばすんだ。この〇〇級ならやれる!」

(『シナリオ編』6頁、下線は引用者。)

ここまでの流れを振り返ると、カメラは戦場を俯瞰するのではなく、

  • ガミラス艦隊旗艦の艦橋
  • ゆうなぎ単体の高機動
  • ゆうなぎ艦橋

という風に、対象を限定していることが分かります。つまり、『2202』シナリオは「艦隊戦」を描くことよりも、個々の艦艇に焦点を当てて、それぞれが抱いている心情(下線部を引いた箇所が示す連合艦隊内の不和)を描く、そのことに重点を置いているのです。

このように、『2202』シナリオは「艦隊戦」よりも心情描写を優先しています。加えて、そのことを示すシーンとしては、以下の記述が象徴的でしょう。

〇ゆうなぎ・艦橋

(略)

古代、歯を食い縛って前方を凝視している。

その視界の中、荒れ狂う炎とガスと敵艦の破片。

スターシャの声「約束してください」

その声が脳裏に響く。微かに目を細める古代。

スターシャの声「私たちのような愚行をくり返さないと」

沖田の声「お約束します」

沖田の声が続く。決して目を閉じてはいけない状況下で、堪えきれずにきつく瞼を閉じてしまう古代。

沖田の声「お約束します」

フラッシュ・2199より、沖田の死のシーン。その手から落ちる一葉の写真。

苦しげな古代の顔。

真田の声「古代、現実を見ろ」

目を見開く古代。

真田の声「先の大戦で、地球は大きな痛手を被ったんだ。生き延びるためには……」

爆炎が後方に過ぎ去り、戦場の宇宙が古代の眼前に戻ってくる。

舵を失ったガミラス艦がガトランティス艦に突っ込み、爆発の閃光が膨れ上がる。

古代「こんなこと(なんでおれはやってるんだ)……!」

絞り出すように呻く古代。

(『シナリオ編』6頁、下線は引用者)

シナリオのこの部分に該当するシーンは、本編にもありました。ただ決定的に違うのは、本編のそれが波動砲に対する古代の心情として描かれているのに対して、シナリオはガミロニア奪還作戦に象徴される戦いそのものに向けられている点です。

波動砲を使わない、という約束を結んでコスモリバースシステムを地球に持ち帰り、ガミラスとも和解して、地球は救われ、平和になった……はずが、眼前では今も戦闘が行われ、多くの人間が死んでいく。しかもこの作戦はガミラスとガトランティスの戦いに地球軍が参加している構図で(いわゆる「集団的自衛権」問題のメタファーか)、ヤマトがガミラスと結んだはずの「相互理解」がこんな形に結実する皮肉。そして今も、地球政府はガミラスさえも信頼せず、波動砲艦隊構想を進めている。

古代「こんなこと(なんでおれはやってるんだ)……!」

というセリフこそが、『2199』以来の3年間、古代進が抱いてきた葛藤を端的に表したものだと言えます。

すなわち、シナリオにおける「古代、歯を食い縛って前方を凝視している。その視界の中、荒れ狂う炎とガスと敵艦の破片。」や、「舵を失ったガミラス艦がガトランティス艦に突っ込み、爆発の閃光が膨れ上がる。」などといった戦闘シーンの描写は、あくまで古代進の葛藤を引き立てるための手段に過ぎないのです。

このように、『2202』冒頭で展開されたガミロニア奪還作戦は、艦隊と艦隊の戦いを描くものではあるものの、『2202』シナリオにとっては「艦隊戦」を中心に描くものではなく、例えば

といった情報を視聴者に伝え、視聴者と共有するための手段だったと言えます。

 

そう考えると、本編では、心情描写よりも戦闘シーン、そしてヤマトらしい「艦隊戦」に近い演出をしてしまったきらいがあります。

一方のシナリオでは、

  • 地球連邦防衛軍司令部にカメラが向き、「戦闘を開始した模様」
  • ざっくりとした戦闘描写
  • ガミラス艦隊旗艦の艦橋にカメラが向く
  • ゆうなぎにカメラが向く(無双)
  • ゆうなぎ艦橋にカメラが向く
  • 大戦艦の登場
  • 地球司令部にカメラが戻り、コードAが発動

という大きな流れをとっているのですが、ここには工夫があります。

司令部にカメラが向く時間を最小限にすることによって戦場を俯瞰する時間を極力短くし、戦闘シーンはガミラス隊司令古代進の視点で進めるようにしているのです。そうすることで、『2202』(というより、福井さん?)が苦手としている戦場を俯瞰する描写を省略できます。

ですが本編では、ガミラス艦隊旗艦の部分を地球防衛軍の司令部に置き換えました。こうしてしまったことで、戦場を俯瞰しているはずの司令部が画面に映っているのに肝心の戦場を俯瞰する描写が足りない、という不具合を起こしてしまっています。

この辺りのシナリオと本編のズレが、『2202』第一話の冒頭にはあったと考えます。

その結果として、戦場を俯瞰した描写の足りない「艦隊戦」が、決して短くない時間に渡って画面に映し出されました。加えて、上述した「ガミラスにその威信を見せるため、主力艦の大半を派遣する地球政府」「地球・ガミラス連合艦隊の不和」「ガトランティスの特性(ガミラス・地球とも異質、機動力がある、猪突猛進)」「古代進が抱えてきた3年間の葛藤」といった、『2202』が本来観客に伝えたかった情報が伝わらなかったわけですから、この改変はあまり上手くいったとは言えないでしょう。

 

ですが、そもそも「戦闘シーンより心情描写を優先するシナリオ」はどうなのか。

この問題も考えなくてはなりません。

当時副監督だった小林誠さんのツイッターで「ガンダム」と検索をすると、こんなツイートが出てきます。

ガンダムの時は戦闘=鳴り物入り大芝居、見栄切り、で持たすが、ヤマトは綿密に組み上げたプランの糸が解けていくのをドラマの中で見せなきゃいけないので。だーっと行ってバッバッ、ドーン!では済まないので苦労しましたよ

(2019年6月4日 https://twitter.com/makomako713/status/1135766603247759362

このツイートから読み取れるのは「ガンダムじゃそういう戦闘シーンでよかったのかもしれないが、ヤマトじゃそうはいかないよ」、という小林さんの主張です。

これはひとつに、『2202』に見え隠れする”戦闘シーンを物語の「手段」としか考えていない”発想に対する批判とも解釈できそうです。小林さんいわく、「ヤマトの戦闘シーンは派手にやっておけばいいのではなく、綿密にプランを練っておかなくてはならない」ようですから。

実際にガンダムの戦闘シーンが「だーっと行ってバッバッ、ドーン」で済むものなのかは、私からは何とも言えません(正直、かなり疑わしい)。ただ、小林さんの「ヤマトは綿密に組み上げたプランの糸が解けていくのをドラマの中で見せなきゃいけない」という主張そのものに関しては首肯できるものがあります。

 

”戦闘シーンを物語の「手段」としか考えない発想”の問題は、実は『2202』全体に通じることでもあります。その最たるものが、土星沖海戦ですよね。

この時、批判は小林さんに集中していました。

ならば、小林さんが参加しないとされる『2205』では、土星沖海戦のような「艦隊戦よりも派手さ(と物語の進行)を重視」した戦闘シーンは「改善」されるのでしょうか。

実のところ、第一話シナリオを読む限りは、福井さん自身にその傾向(戦闘シーンの内容を重視しない)があると言えそうです。

小林さんの実際の仕事の評価は別にして、「ヤマトのお客さんは単に派手なだけの戦闘シーンでは満足しないよ」という主張はごもっともでしょう。戦闘シーンにおいて福井さん自身に課題があるとすれば、『2205』はスタッフの陣容を含めてそれをどう克服しようとしたのか、どう克服したのか、あるいはしなかったのか、あるいはできなかったのか。

この辺りは、『2205』に我々が向き合う上で一つの論点となりそうです。