ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

主題歌から読み解く旧「ヤマトらしさ」

こんにちは。ymtetcです。

映画『ヤマトという時代』の情報が更新されている現在の潮流とはややずれますが、一つやってみたいことがあったので、やってみます。それは、旧『ヤマト』の主題歌(とりわけ阿久悠さんが作詞したもの)を読み解くことから、永遠の謎「ヤマトらしさ」に迫る試みです。

今日は、原点にして頂点の主題歌「宇宙戦艦ヤマト」を取り上げます。まずは歌詞をフラットに見ていただきたいところですが、ここに全文載せてしまうのは権利的にまずい。というわけで、皆様まずは歌詞をチェックしてきていただければ幸いです。

はじめに

さて、歌詞をチェックしてきていただいたところで、私なりに歌詞を読み解いていこうと思います。もちろん、阿久さんの言葉や西﨑さんの言葉を調べ上げることで実証的に進めていくやり方もありますが、今回は手元に資料がないので、私なりの読み解きで進めていきましょう。

また、今回着目する「ヤマトらしさ」とは、「これがなくてはヤマトじゃない!」といった類のものではありません。むしろその逆「これがあったらヤマトっぽくない?」といった類の「ヤマトらしさ」(特に、”旧『ヤマト』の「ヤマトらしさ」=旧「ヤマトらしさ」”)を求めて、今回は歌詞を読んでいきます。

順序に沿って文章化してみる

まずは、歌詞の順序に沿った解釈を行います。歌詞を文章化することで、この歌に込められているメッセージを考えていきましょう。

阿久悠宇宙戦艦ヤマト

(一番)

(二番)

一番と二番に共通する構造

色々な解釈があると思いますが、ひとまず、私の(今回の)解釈は以上です。こうして全体を眺めると、「宇宙戦艦ヤマト」の歌詞は、一番と二番で共通した構造を持っていることが分かります。

  1. ヤマトは地球(故郷)愛する人のもとを離れて、イスカンダルへと旅をする
  2. ヤマトは、地球(故郷)を救う使命=地球(故郷)の運命を背負って、遠く離れたイスカンダルへと旅をする
  3. 地球(故郷)を救う使命を、乗組員は決意として胸に抱いている。「必ずここへ帰ってくる」「期待の人が俺達ならば」。
  4. 地球(故郷)から遠く、銀河をも離れて、遠く離れたイスカンダルまで旅をするのが、宇宙戦艦ヤマトである。

こんな構造を、「宇宙戦艦ヤマト」は持っているのではないでしょうか。

「ヤマトらしさ」=「戦艦大和らしさ」の構図

では、ここからいかなる「ヤマトらしさ」が導けるでしょうか。今回注目したいのが、歌詞のこの部分です。

さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト

(略)

さらば地球よ 愛する人よ 宇宙戦艦ヤマト

阿久悠宇宙戦艦ヤマト」)

先ほどの段落で「地球(故郷)」と表現したことに気づかれた方もいらっしゃると思います。

「さらば地球よ」は、文字上では地球に別れを告げている言葉ですが、宇宙というスケールで物事を考えた時、この「地球」とはすなわち故郷(ふるさと)なのです。そして、この故郷と並んで別れを告げている相手が「愛する人」。

すなわち、この歌詞は、故郷を離れて遠い海で戦う海軍軍人の心情をそのまま宇宙に適用したものなのではないでしょうか。戦艦に乗り、故郷と、故郷に残してきた愛する人(恋人や家族など)のために戦う。大切なものを残して旅立ち、その大切なものを守るために戦う構図は、まさに戦争・出征のイメージそのものです。

そのように解釈した時、「必ずここへ帰ってくる」「地球を救う使命を帯びて」「誰かがこれをやらねばならぬ 期待の人が俺達ならば」の使命感を表した歌詞は、

「必ず故郷(≒愛する人のもと)へ帰る」

「必ず故郷(≒愛する人)を救う、俺が守らなければならない」

という意味合いにも解釈できます。

そもそも、慣れ親しんだ土地と愛する人のもとを離れるのはとても寂しいことです。宇宙戦艦ヤマト」には、「地球を救う」の使命感だけではなく、「さらば故郷よ」「さらば愛する人よ」という別れの言葉も盛り込まれているわけです。

この二つを組み合わせた時、私は、これまで散々目にしてきたあの言葉に辿り着きました。

そう、「悲壮感」(=悲しい出来事のなかで、雄々しく立派に振る舞うようす。 また、悲しい出来事にあい、心を奮い起こすようすです。

故郷と愛する人を守るために戦う使命には(心の底から)燃えているけれど、故郷に残してきた愛する人のことは心配で、正直、すごくすごく寂しい想いをしている。それが、旧『宇宙戦艦ヤマト』の悲壮感(「ヤマトらしさ」)を作り上げていたのではないでしょうか。第19話「宇宙の望郷‼母の涙は我が涙」は、まさにこの心情を真正面から描いたものですよね。

大切なもの(故郷、愛する人)との距離が離れていること。遠い場所に残してきた大切なもの(故郷、愛する人)を守るために戦うこと。

これが、旧『ヤマト』における「ヤマトらしさ」(海軍軍人的な心情という意味では「戦艦大和らしさ」でもある)の一端を担っていたと言えそうです。

「一般」に当てはまらない古代進

興味深いのは、主人公である古代進が、この歌詞の心情に当てはまらない存在であるということです。この歌は「真赤なスカーフ」と同じく、名もなき乗組員の心情を描いた(というより、総体としての宇宙戦艦ヤマトの心情を描いた)もので、その意味では(乗組員の)「一般」的な歌詞だと言えます。

一方、第10話で描かれたように、古代は「一般乗組員」からは浮いている存在。古代には別れを告げる「愛する人」が、もういないのです。

言い換えるなら、古代には守るべきものがなかった。ゆえに古代には、全編を通して「守るべきものを得ていく」物語が与えられています。この特別な立ち位置こそが、古代進の主人公たる所以なのかもしれませんね。

おわりに

今回は、「宇宙戦艦ヤマト」の歌詞から「ヤマトらしさ」を読み解く試みをしてみました。

私は以前から、「宇宙戦艦ヤマト」の歌詞には「使命感」が描かれていると考えてきました。そしてそれこそが、「ヤマトらしさ」であるとも。

『ヤマト2199』に足りなかったのは「悲壮感」ではなかった&ヤマトマガジン情報 - ymtetcのブログ

もちろん、それが間違いであるとは思いません。ですが同時に、「ヤマトらしさ」が「使命感」ならば、『ヤマト』は他のヒーロー物語と何が違うのか? と悩んでもいました。

その点については、今回一応の結論が出たのかなと思います。

すなわち、使命感に「遠い場所に残してきた大切なもの(故郷、愛する人」の要素を加えることで、それは「悲壮感」になるのです。そしてその心情は、どこか海軍軍人的。「宇宙の戦艦大和」を描く旧『宇宙戦艦ヤマト』のコンセプトにも合致します。

その意味では、海軍軍人的な「悲壮感」が、旧『宇宙戦艦ヤマト』の「らしさ」、旧「ヤマトらしさ」に繋がっていたのかもしれませんね。