ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

新海誠作品から考える、これからの『宇宙戦艦ヤマト』

こんにちは。ymtetcです。

君の名は。』『天気の子』で世間的にも有名になった新海誠さんですが、それ以前は「知る人ぞ知る」存在、無名ではないが一般的な知名度は決して高くない、そんなクリエイターの一人でした。そんな彼が、なぜ一躍売れっ子クリエイターになったのか。私は新海さんを専門としているわけではないので概論的にはなりますが、この問いから、これからの『宇宙戦艦ヤマト』について考えてみたいと思います。

〇これからの『宇宙戦艦ヤマト

これからの『宇宙戦艦ヤマト』は、まず自らの「らしさ」を見つけ出しそこにヒット作の条件(王道の要素と時代性)を組み合わせることで、より幅広く受け入れられる作品を目指すべきではないでしょうか。

〇「知る人ぞ知る」クリエイターから売れっ子へ:新海誠さんの例

君の名は。』より前の新海さんの作風については、以下の二本の動画を見ればおおよその雰囲気を掴むことができます。前者は新海さん自身(?)がアップロードしている1999年の自主制作アニメ、後者は東宝がアップロードしている『君の名は。』以前の過去作品のモンタージュです。二本併せて10分程度ありますが、是非観ていただきたい動画です。

youtu.be

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『彼女の彼女の猫』から『天気の子』に至るまで、ほぼ全ての新海誠作品で男女間の恋愛が描かれています*1。それを独特な感性・言葉選びと緻密な美術で描くのが、「新海誠らしさ」だと私は思います。また、『ほしのこえ』『君の名は。』など、恋愛ドラマをSFやファンタジーとかけあわせた作品も目立っていますね。

恋愛ドラマというジャンルそのものは、王道の中の王道です。それなのに、新海さんの作品が一部の人間に熱烈に支持されているにとどまっていたことには、理由があります。今回紹介した彼女と彼女の猫』は、そんな意味で、とても新海さん「らしい」作品だと考えます。

この作品は、「彼女」に拾われた猫である「僕」の視点で描かれるストーリーです。劇中のイベントとしては、「僕」に猫のガールフレンドができたこと、「彼女」がある日突然泣き出したことの二つのイベントが設定されています。ですが、それが「僕」と「彼女」の関係性を変えることはありません。ただ淡々と、四季がめぐっていく。テーマは「人生は思い通りにならないけれど、この世界は美しい」……。そんな話です。

ここには、ドラスティックな展開があるわけではなく、感動する場面があるわけでもありません。でも、人の心のどこかにぽっかりとあいた穴や痛みを繊細に描き出し、そっと肯定する。これが、『秒速5センチメートル』などにも通じる従来の新海さんの作風で、それは観て興奮・感動する娯楽映画とは一線を画するものでした。

そんな新海さんが、王道の要素をストレートに物語へ投入したのが『君の名は。』だったと私は思います。ある時不思議な力で男女が入れ替わる、死んだ女の子を時空を超えて救いにゆく──そんな作品は世に溢れていますし、新海さんもそのことには自覚的でした。でも、『君の名は。』は新海さんの作品として高く評価されました。

その要因は、王道展開を中核に据えながらも、各所で新海さんの「らしさ」が生きていたことにあると思います。キャラクターたちの言葉選び、緻密な美術と、いや応なしに”美しい”と思わせる演出。さらに、自然災害という2010年代の作品ならではの時代性をふりかけて、この作品は2016年の大ヒット映画になったわけです。

〇ヒーローとしての『宇宙戦艦ヤマト

以上は非常にざっくりとした新海誠作品の話です。専門的な方からすれば異論もあるでしょう。私は今回、『君の名は。』ヒットの要因は王道展開と時代性を「新海誠らしさ」と組み合わせたことにあったと考えました。

そこで、王道展開や時代性、特に王道展開を、「ヤマトらしさ」とどう組み合わせていくことが可能か、以下に考えてみたいと思います。

私はこれまで「ヤマトらしさ」 について、

  • 洋上艦をモチーフとした宇宙戦艦のメカ・アクション
  • ライトモチーフで構成される音楽
  • 疑似家族(あるいは師弟関係)
  • キャラクターが自らの意志で乗り込むこと
  • 「生き方」を語ること
  • 強いメッセージ性を持つ別れを描くこと
  • 地球や人類を救うという使命感
  • 宇宙ならではの孤独感(不安)
  • 老朽戦艦の復活劇

を挙げています。これはまだ仮説であり、これから時間をかけて突き詰めていくべき叩き台でもあります。

ここに、どんな王道要素を付け加えることができるでしょうか。

まず考えられるのが、恋愛要素です。特撮やSF映画に対して「恋愛要素を入れろ」とプロデューサーが注文してバランスが崩れる、などという話をよく聞きますが、それだけ、恋愛要素というものがある種の王道であることも否定できません。

これまでの宇宙戦艦ヤマト』シリーズ作品の中で、恋愛要素の一番強かった作品は『ヤマトよ永遠に』でしょう。古代進と森雪が離れ離れになり、進にはサーシャが、雪にはアルフォンが想いを寄せる。二人は危機を乗り越える過程で、互いの想いの強さを確かめ合う。そんなストーリーで、シリーズの中では最も恋愛の要素が強いと言えます。

離れ離れになり、互いに他の誰かから想いを寄せられる構図は、恋愛ドラマとしては無難なものです。この恋愛要素を突き詰めてみる選択肢は十分にあり得るでしょう。

ですが、『宇宙戦艦ヤマト』のテーマである「愛」に、恋愛が含まれることはほとんどありませんでした。ゆえに、恋愛ドラマと『宇宙戦艦ヤマト』の相性は未知数であり、これを突き詰めても、大失敗に終わるリスクは否定できません

そこで失敗する可能性の低いものとして、ヒーローものとしての要素を突き詰める方向性を提案したいと思います。私がこれまで、「人類最後の希望」論として提示していたものです。

劇中世界において、ヤマトは必ず、どこかのタイミングで「人類最後の希望」になります。その過程でいわゆる”アツい”ドラマが生まれるのではないか、と私は考えています。

この「人類最後の希望」の要素を重視した時、物語を構成する上で突き詰めなくてはならないのはただ一点、

  • 「人類最後の希望」は、なぜ(他の艦ではなく)ヤマトなのか?

です。この点の必然性が弱い作品、例えば『復活篇』や『2202』などは、特に最終盤において偶然性の高い要素(≒「ご都合主義」と言われる部分)が目立ち、盛り上がりに欠けていたと考えます。

さらに言えば、第一作の「地球艦隊が壊滅した。もう戦艦大和しか残されていない」や、『さらば』の「最新鋭の地球艦隊が壊滅した。ヤマトが持っている旧型波動砲しか敵には通用しない」などを超える必然性の相対的に高いドラマはその後、作られていません。

「人類最後の希望」は、なぜ他の艦ではなくヤマトなのか。それを突き詰めて、地球や人類のヒーローとしての宇宙戦艦ヤマトを壮大に描き出した時、より多くの人に観てもらえるような、ヤマトらしい『宇宙戦艦ヤマト』を作ることが可能になるのではないでしょうか。

〇届きました

『ヤマトマガジン』が届きました。

*1:『猫の集会』などは例外ですね。