こんにちは。ymtetcです。
先日の「アニゲー☆イレブン」で、福井晴敏さんは『ヤマト2205』の特色として「段取りを省く」ことを挙げていました。これを福井さんは「ヤマト本来の持ち味とは矛盾する」としています。
今日は『ヤマト2205』の「段取りを省く」について、考えていきます。
〇福井さんの言葉
ナレーション:昭和の時代から受け継がれてきた『ヤマト』の持っている良さを、ふんだんに盛り込んだ今作! しかし、今までの作品から変えた部分もあるそうです。
福井晴敏:『ヤマト』本来の持ち味とは矛盾するんですけども、段取りを省く。
和氣あず未:段取りを省く?
福井:例えば「躓いた」「ドテーンと転んだ」というシーンがあった時に、躓いた瞬間にドテーンと転ぶことが分かるでしょ?
和氣:はい、わかります。
福井:だとしたら、「ドテーンと転ぶ」シーンなんか要らないんですよ。
和氣:あー!
福井:躓いたカットの次は、もう怪我していていいんです。だからその「ドテーンと転ぶ」ところの「待ってました!」を省いちゃって、その分どんどん話を進めていって……(略)
〇「段取り」とは
「段取りを省く」とは、シーンの取捨選択をする際に「原因」と「結果」を優先して選択することだと考えています。
福井さんの例え話に即して整理してみましょう。
福井さんが例えとして持ち出している「つまずいて、転んで、怪我をする」場面を整理してみると、例えば、
- 原因(なぜ):道端の石につまずく
- 過程(どのように):転んで手をついて
- 結果(どうなった):手を怪我する
このような形に整理できます。
ここでいう「過程」が、福井さんのいう「段取り」です。疑問詞に即して表現すれば、「どのように」。
『ヤマト』で例えるなら、『復活篇』の冒頭がいいかもしれません。『復活篇』の冒頭では、地球の移民船団が
- 原因:謎の艦隊の奇襲を受けたために
- 結果:全滅する
シーンが描かれます。そして、これを表現するために、どのようにして地球の移民船団が全滅に追い込まれたのかをじっくりと描いていきます。これが『ヤマト』です。
〇「段取りを省く」とは
福井さんの例えに則って表現すれば、「段取り」を省くことで、
- 道端の石に躓いたから、手を怪我した
と、最短ルートでシーンを描写することができます。
このように表現すると、『2205』が「段取り」や「過程」「どのように」をきれいさっぱりカットしたと思われるかもしれません。『復活篇』冒頭で言えば、移民船団が謎の艦隊に襲われたと思ったら次のカットでは全滅している……という”ナレ死”的な演出を『2205』が取り入れているのではないか、と思う人もいるでしょう。
しかし、福井さんのいう「段取りを省く」とは、「段取り」をきれいさっぱりカットするものではなく、単に取捨選択の基準なのだと私は考えます。
『2205』ではデザリアムの攻撃を受けてガミラス星が消滅してしまうわけですが、原因であるデザリアムの攻撃がどのようなものであるか、どのようなことがガミラス星に起こるのかについてはじっくりと映像化されています。それは、「デザリアムの攻撃を受けて」「ガミラス星が消滅する」までの過程に、デスラーやガミラス国民のドラマが配置されているからでしょう。こういった、物語の進行上、欠かせない「過程」「段取り」「どのように」については、『2205』もしっかりと描写しています。
〇わかりやすさの秘密
福井さんの脚本はとにかく長く、情報量の多いことが特徴です。『2202』は明らかにそこで苦戦を強いられていました。『2202』は観客にとって分かりにくい場面も少なくなく、「取捨選択が下手」と言われていましたよね。
反面、『2205』は観客にとって分かりやすい内容である点が強みです。そしてその秘密は、取捨選択が上手いということより、選択基準が明確であることにあると考えます。
映像化していく中で、「原因」と「結果」はきちんと描写する。いっぽう「過程」については、物語やドラマの進行上、必要不可欠なものに留めて圧縮する。
それが徹底されていたからこそ、『2205』は90分の中にたくさんの情報を詰め込みながら、観客にとって"わかりにくい"場面を少なくすることに成功したものと私は考えます。