ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【休】古代は高次元宇宙のことを覚えていないのか

こんにちは。ymtetcです。

今日は久々に時間がとれなかったので、お休みです。

 

『2205』第4話でイスカンダルの救出を主張した古代は、芹沢に「それは高次元宇宙で得た知見なのか」と問われました。それに対して古代は「向こうでのことは、何も」と言葉に詰まり、古代が高次元宇宙での出来事を覚えていない、と描写されました。

いっぽう、第1話で沖田の銅像の前に立ち「何もかも変わった、私という人間も」と沖田に語る古代の脳裏には一瞬、高次元宇宙にいる自分自身が浮かんでいます。

もちろんこれは、我々観客が『2202』の古代を振り返りやすいように、との配慮なのかもしれませんが、演出のテンポ感としては、「古代の脳裏に浮かんだもの」か、「作り手が受け手に示したい情報」なのかが微妙なラインだなと思います。

ですが私は、最初に第4話の「向こうでのことは、何も」と言葉に詰まった古代を見た時、”ああ、覚えてないんだな”とは瞬時には思いませんでした。なので芹沢が、覚えていない前提で話を進めた際には”あ、そうなのか”と思ったほどでした。

ここからはあまり根拠のない私の考えです。

私が言葉に詰まる古代を見て真っ先に思ったのは、”そうだよな、向こうで見たのは古代の理想とは真逆の未来ばかりだもんな”でした。そして、案外その可能性もなきにしもあらずなのかな、と今でも思っています。

高次元宇宙で、古代は「引き金を引き続ける未来」にばかり目を向けていました。もちろん高次元宇宙で見たものはそれだけではないでしょうが、古代はそればかりを気にしていた。でもその中にささやかな希望を見出して戻ってくるわけです。

であれば、古代が絶望した「引き金を引き続ける未来」は、消えたわけではありません。古代はそれを覚えているからこそ、自分の理想に基づく選択が、必ずしも自分の理想に基づく未来をもたらさないと直感的に考えることができた、だから言葉に詰まったのかな、と思いました。

 

ただ、これは『2205』が『2202』のような古代進単独主人公の作品ならいいのですが、そうではありません。あまり古代を深掘りするのは、作り手としても受け手としても歓迎されないでしょう。その意味では、高次元宇宙での出来事は覚えていない、とした方が、スッキリするかもしれませんね。

でも山本は、覚えてましたよね……(笑)。