こんにちは。ymtetcです。
『ヤマト2205』の画面外設定が、かなり充実しています。特にパンフレットには、本編の理解を補完するような設定も書かれていました。それ故か、「これはパンフレットや副監督のツイートでようやく内容を理解できるものになっていた『2202』と変わらないのでは?」との批判も、ごく一部ではあったと記憶しています。
ですが、『2205』の設定には『2205』の特色があります。今日はそれについて、考えていきます。
確かに、解説を読めば理解が深まるという意味では、『2202』と『2205』は共通しています。ですが決定的に違うのは、『2205』は解説を読まずとも楽しめる点でしょう。『2205』は『2202』と比べ、作り手の意図の不明なシーンが少ないからです。
ではなぜ、そうなっているのか。
それは『2205』の設定が、ある程度体系化されているからだと考えます。
例えば『2205』パンフレットによると、本作の地球は以下のような状況に置かれています。
地球はガミラスと安保条約を締結しているが、ガミラスがガルマン星をめぐってボラー連邦と対立し始めたため、地球にも戦火が及ぶかもしれない、との懸念がある。それはちょうど「地球の規模に合った軍備の最適化」という方針を決定した矢先の出来事であったため、地球政府は軍備拡張ではなく外交政策によってこの状況に対応しようとする。その外交政策とは、「地球は人命を尊ぶ平和国家」であると内外に喧伝すること。第65護衛隊は、「軍縮・平和路線への転換の象徴」として編制されている。
そしてこの設定は、『2205』本編では、芹沢の新人クルーへの訓示として描写されていました。
「知っての通り、このヤマトは、軍備より人命を尊んだ地球の平和主義を体現するものとして……」
『2205』本編から、先の設定を完璧に理解できた人は少ないでしょう。
ですが、先の設定を知らなければ『2205』を楽しむことはできないのでしょうか。そうではありません。『2205』は、先の設定を体系的に説明することこそしませんが、第1話Aパートの会話、第2話、第4話などの会話を通して、断片的に先の設定を観客に提示することで、最低限、地球の人々や政府が何を考えているのかを伝えるようにしています。
すなわち、設定が体系化されているからこそ、情報を断片的に提示するだけであっても、観客は設定をある程度理解できる。ゆえに、『2205』はパンフレットの設定を観ずとも楽しめるようになっていたのだと私は思います。
体系化された設定は、組み上げることが非常に困難である一方、ひとたび組み上げてしまえば、『2205』が必要最低限の説明で物語を進められたように、本編を構成する上で楽をできるというメリットがあります。これができたのも、設定スタッフの人的リソースを増やしたこと、そして全8話構成にして、扱う設定の絶対量を減らしたためだと考えます。その意味で、『2205』前章の成功は、プロデュース時点である程度担保されていたと考えてよいかもしれませんね。