ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【福井ヤマト】「愛の星」に見る『2199』との違い

こんにちは。ymtetcです。

『2199』(及び『方舟』)までのリメイクシリーズと、『2202』以降の「福井ヤマト」の間には、劇中キャラクターの連続性は認める余地もあるにせよ、やはり作風としては断絶があると言っていいでしょう。今日は『2199』第7章エンディングテーマ「愛の星」の歌詞を題材に、その断絶について考えたいと思います。

〇「選択」を描いた「愛の星」の一節

守るもの 増えるたび

優しさが迷いを連れてくるけど

信じてる いつだって

選んだ道は希望へと続く

恐れずに進もう 何があっても

幸せはいつでも側にあるから

先日「愛の星」を何気なく聴いていて耳に残ったのが、この一節でした。ストレートな歌詞ですから解釈といってもそのままになりますが、

  • 守るものが増えるたび、自分の中にある優しさが選択を難しくする
  • けれど、私はその選択が希望に繋がっていると信じている
  • だから、恐れずに進もう、何があっても
  • なぜなら幸せはいつだって、そばにあるから

とのメッセージを打ち出しているのが、この部分だと言えます。

〇「明日への希望」はいつもそばにあるのか

先に引用した「愛の星」の一節は、福井ヤマト、特に『2202』の思想とは異なります。

『2202』は、「選択」が自己や他者を裏切り、人の心や命を奪っていく様を「現実」として描き、「恐れずに進む」ことができなくなった古代進が、死者の世界に留まろうとするシーンさえ描いたのです。

この違いを敢えて対比的に表現するとすれば、

  • 「明日への希望」を前提とし、ほぼ無条件に信じているのが『2199』
  • 「明日への希望」を信じられなくなった人々が、再び信じられるようになるまでを描くのが福井ヤマト

だと言えるのではないでしょうか。

『2199』も福井ヤマトも、「明日への希望」を劇中で描いている点は共通していると思います。しかし、『2199』は「明日への希望」があることは前提として、その他の部分で物語を魅力的にしようとしています。「明日への希望」という点には、『2199』は注力していなかった作品だと私は考えます。

一方福井ヤマトは、”「明日への希望」は当たり前にあるものではない”という独自の社会観のもと、『2202』にせよ『2205』にせよ、いったん登場人物たちから「明日への希望」を奪う作業を行っています。『2202』なら古代、『2205』ならデスラーです。

この違いは、福井ヤマト、特に『2202』が公開された際、ファンが『2199』を否定されたと感じた理由の一つなのではないでしょうか。

とはいえ、福井ヤマトも「明日への希望」を否定的に描いたわけではありません。福井ヤマトの考える「現実」世界では「幸せはいつでも側にある」とは限らないし、「選んだ道」が絶望へと続くこともあるけれど、それでも人は前へ進むのだ、と描く。これが福井ヤマトの「明日への希望」へのアプローチであったと言えます。