ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマトらしさ】「誰かを守りたい」と願う人々の物語

こんにちは。ymtetcです。

先日から、『アクエリアスアルゴリズム』の読み直しも始めました。『アクエリアスアルゴリズム』もまた、『2205』や『Λ』と共通する『ヤマト』観を持った作品。最近の『宇宙戦艦ヤマト』を考える上では重要な作品と言えます。

その中で、一つ印象に残ったのが、宇宙戦艦ヤマトに対する「誰かを守りたいって思う人が大勢乗っていた艦」という表現です。今日はこの言葉をもとに、これからの『宇宙戦艦ヤマト』を考えてみたいと思います。

〇「誰かを守りたい」

誰かを守りたいって思う人が大勢乗っていた艦」。これは文脈からして、戦艦大和宇宙戦艦ヤマトの双方に向けて寄せた言葉だと考えられます。大和もヤマトも、「誰かを守りたい」とのたくさん思いが集まった艦だったと振り返っている形です。

現在は、「戦艦大和」の存在そのものに対するノスタルジーや基礎知識が薄れつつある時代と言えます。「せんかんやまと」をタイトルに掲げる存在としては、「戦艦大和」という存在を再解釈して、より普遍的なメッセージに置き換える必要がある時代かと思います。

その中で、戦艦大和を起点とした『ヤマト』の思想を、「誰かを守りたい」という普遍的なメッセージに置き換えることは、(その解釈の妥当性は別にして)効果的なアプローチだと考えます。

〇「大勢乗っていた」

さて、今日はこちらの表現にも注目しましょう。

「大勢乗っていた」との表現には、大和/ヤマトは伊藤司令長官や有賀艦長、あるいは沖田艦長だけの艦ではなく、彼らを含めて、そこにいた乗組員たち全員の艦であった、との姿勢が見て取れます。

ここから、『ヤマト』はただ一人の英雄活劇ではなく、一つの場所に集まった、「誰かを守りたい」と願う人々の群像劇である、と考えることができます。

これは、トップネスたちが集まって戦う『Λ』にも反映されていますし、再び群像劇要素を強めた『2205』にも同様のことが言えますね。

〇群像劇の先にある「脱・古代進」の未来

最後に、これからの『ヤマト』についても考えておきましょう。

これからリメイクシリーズが向かう『永遠に』以降の物語は、原作では群像劇的な要素を含んではいたものの、キャラクターを大きなヒーローとして描こうとする傾向が強かったのではないかと考えています。それゆえ、作品ごとにキャラクターに犠牲を強いることとなってしまった可能性があります。

『3199』以降の作品は、大きく目立つヒーローを描くことよりも、小さな小さなヒーローたちが、小さな活躍と勝利を積み重ね、その上に作品としての”勝利”(必ずしも軍事的な「勝利」ではない)がある、と描く方向性が、あるいは現代的な作品作りへと繋がっていくかもしれませんね。