ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

なぜ『2199』よりも『2202』『2205』の方が難しいのか?

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2199』と『2202』『2205』を比較すると、どちらかと言えばライトに観られるのが『2199』なのに対して、『2202』『2205』はあまりライトに観ることはできあに作品だと言えると思います。「初心者向け」の観点からも、(単純にシナリオだけで比較しても)『2199』は割に薦めやすいのですが、『2202』『2205』は初心者にはハードルが高く見えてしまう感覚はないでしょうか。

では、その違いはどこから生まれたのでしょうか。

もちろん、脚本家・プロデュース面での明確な方針の違いが背景にあり、シナリオ的には『2199』といわゆる「福井ヤマト」は全くの別作品ではありますが、今日は「公開形態」に注目して、その理由の一端を考えていきたいと思います。

『2199』と『2202』以降のリメイクヤマトの公開形態は、原則として同じ「UC方式」が採用されています。先行で劇場上映を行い、後にテレビで放送する方式です。

しかし、明確に異なるのは、『2199』のみが「当初はテレビアニメとして想定されていた」点です。

『2199』は、テレビアニメとしての脚本がほとんど完成していた状態で制作が中断されました*1。その後、『2199』の企画は復活しましたが、この時、テレビアニメ企画を「劇場の大画面でも観られるクオリティ」に押し上げる作業が行われました。

つまり『2199』は、「テレビで無料放映する作品」としての色が濃い作品だったと言えます。

一方『2202』『2205』は、『2199』の成功を受けて、あらかじめ劇場上映を想定して企画が行われている作品です。上映館数も『2199』第7章(16館)と比較して各段に増えて(『2205』36館)おり、劇場上映が『2199』以上に重視されていることが分かります。そしてこれらの作品は、福井さんが「映画を7本撮っているような気持ち」と述べたように、映画館で観られることが前提となった作品です。

つまり『2202』『2205』は、「映画館にファンがわざわざ足を運ぶ作品」としての色が濃い作品だったと言えます。

旧作を振り返っても、テレビ放映された作品(第一作・『2』・『新たなる旅立ち』・『Ⅲ』)と劇場版(『さらば』『ヤマトよ永遠に』『完結編』)では、作風に違いがありますよね。テレビ放映された作品の方は尺の余裕もあってから説明も丁寧ですし、コメディシーンなども多くライトな構造になっています。一方、劇場版はテーマ性重視で、コメディシーンも少なく「まじめ」な作品が多い。

リメイク版においても、テレビシリーズとして構想された『2199』と、劇場上映を前提に企画されている『2202』『2205』で、同じような傾向が見られているのではないでしょうか。これはしっかりと検証すれば、もっと面白いことが分かりそうですね。

*1:この時点での脚本はどういうわけか『2199』公開中の時点で流出していて、私も当時目にしたのですが、『2199』の骨子のようなものは既に完成されていたと記憶しています。