ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマトNEXT】『Λ』後のニュー・ヤマトが目指すべき道

こんにちは。ymtetcです。

『スターブレイザーズΛ』が先鞭をつけた『宇宙戦艦ヤマトNEXT』シリーズ。その後の音沙汰はありませんが、突然、何かがあるかもしれないのが『ヤマト』界隈です。

今日は、この『NEXT』シリーズの未来について考えたいと思います。

 

『スターブレイザーズΛ』は、先駆者としての意義は絶大ではありますが、これからのヤマトを考える上では、反省するべき点もある作品だと私は考えています。

というのも、振り返った時に、「これが『ヤマト』である必要はあるのか」との問いが、どうしても拭えない形になってしまったからです。『Λ』の縁あって読んだ『鉄腕アダム』がとても面白かっただけに、終盤はどうしても、先ほどの問いがちらつきました。「これは『ヤマト』の枠に押し込まれない方が、面白かったかも?」と。

 

『マクロスΔ』に学ぶ「ヤマトらしさ」 - ymtetcのブログ

 

そこで今回は、3年前の記事に注目したいと思います。「ヤマトらしさ」について考えた記事です。

この記事で私が述べていたのは、「ヤマトらしさ」とは、

  • 洋上艦をモチーフとした宇宙戦艦のメカ・アクション
  • ライトモチーフで構成される音楽
  • 疑似家族(あるいは師弟関係)

の3つに整理されるのではないか、でした。

 

『Λ』はコミックですから、2番目の「らしさ」は回収しようがありません。

そして、あとの二つに照らしてみても、やはり『Λ』は当てはまりません。

主人公のヤマト艦は洋上艦をモチーフにしていたとはいえ、戦い方は『ヤマト』の「宇宙海戦」的なものとは異なっていました。

また、キャラクター同士の関係性も恋愛方面に引っ張られがちで、「擬似家族」の浪花節的な方向性には向かいませんでした。

『Λ』から「ヤマトらしさ」が感じられないとすれば、このあたりに要因がありそうです。

 

しかし、そもそも『Λ』とは、そうした「ヤマトらしさ」に風穴を開けてくれることに期待した作品でした。ですから、「ヤマトらしさ」がないのは当然なのです。

 

では、ポスト『Λ』となる次作の『ヤマトNEXT』は、どうあるべきか。

私は、先に述べた3つの「ヤマトらしさ」を踏襲するような、「『宇宙戦艦ヤマト』であること」を突き詰めた作品が生まれて欲しいと思います。ストーリーは既存の作品を踏襲しない、けれども、世界観や設定は「『宇宙戦艦ヤマト』であること」を突き詰める。

ゴジラ』シリーズの『シン・ゴジラ』や『-1.0』は、従来のゴジラとは異なる作風でありながら、どこか「原点回帰」的なベクトルを持ち、ヒットという結果を残しています。

このような、全くの新作でありながら、中身はしっかりと『宇宙戦艦ヤマト』を描く、そんな作品こそが次の『ヤマトNEXT』に相応しいと私は考えます。

【ヤマト2202】『さらば』リスペクトと否定

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事では、『2202』ラストの「国民投票」は、『さらば』のラストで描かれた「古代進の死」が、その後の世界(現実世界を生きる観客)にどのような影響を与えたか?を問いかける「粋」なアイデアであった一方、『さらば』のラストの解釈を”福井晴敏”色に規定してしまう点で「無粋」なアイデアでもあったと述べました。

今日は、そんな『2202』が持っていた『さらば』へのリスペクトと、作品全体に流れていた『さらば』否定のお話です。

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【ヤマト2202】国民投票は「粋」であり「無粋」

こんにちは。ymtetcです。

過日、『さらば宇宙戦艦ヤマト』を再見して気づいたのは、『2202』最終話の解釈です。

『さらば』ラストシーンに答えるという「粋」

『さらば』ラストシーンには、こんなテレサのセリフがあります。

あなたのおかげで人々は目覚め、より美しい地球と、宇宙のために働くことでしょう。

古代進の行動が、生き残った人々に「勇気と愛」を与え、人々は目覚める。テレサはそう語りかけ、古代を導きます。

ここで疑問として浮かぶのは、では実際に、古代と雪の死によって救われた地球人類は「目覚め」たのか?ということ。

さらにいえば、『さらば』という映画に感動した子どもたちは、あれから40年経って、「より美しい地球と、宇宙のために働」くような「勇気と愛」に満ちた人生を歩んでいるのか?ということです。

これが問われたのが「時間断層という国益を犠牲に、古代進を救出する」か、「古代進の救出を断念する代わりに、時間断層を放棄する」かを問うた、あの「国民投票」だと言えます。テレサの提示した「勇気と愛」による答えが前者、大人として利益を重んじて大勢の命と暮らしを守る答えが後者、そんな対比が『2202』では為されています。

福井さんは、『さらば』から40年経って大人になったヤマト世代が「前者を選べなくなっている」ことを承知の上で、"人々"が前者を選び取るラストシーンを描きました。

このように、『ヤマト2202』の「国民投票」とは、『さらば』のテレサに対するアンサーであり、さらには、画面の前のヤマト世代に対して「『さらば』から40年、あなたの人生は今、どうなんだ?」と問いかけるような構造になっていたのではないでしょうか。

その意味では、最終話の「国民投票」こそ、『2202』の「『さらば』のリメイク」としての核となるシーンであり、『さらば』のラストシーンに40年越しに答えようとする「粋」なプロットだったと考えます。

『さらば』の先を描くという「無粋」

しかしながら、『さらば』のラストシーンは、"その後"が描かれてないことに魅力があります。

ヤマトが画面の向こうに消えていった先で、何が起こったのか。それが描かれないからこそ、観客は古代進を「見送る」立場にたって、古代の行動の意味を受け取り、映画館を出た後の人生に、少しの変化を加えることができる。

古代の行動を肯定するかどうかも、古代の行動をどう捉えるかどうかも、主導権は観客の側にあります。だからこそ、ヤマトはこれからも「あなたの胸に」「生きている」と言える。これが『さらば』のラストシーンの懐の深さです。

これに対して『2202』は、古代進の行動の意味も、そして評価も、全て福井さんが提示した受け取り方で、福井さんの考えに基づいて描かれます。『2202』は、『さらば』と比べて解釈の幅が狭くなっており、主導権は(観客ではなく)福井さんのほうに寄っています。

その意味で、『2202』は「『さらば』のリメイク」として、敢えてぼかしてあったラストシーンに具体的な意味と評価を与える、いわば「無粋」なことをしたと言えるでしょう。

 

いずれにせよ、福井さんの『2202』アプローチは、エネルギーをもって『さらば』に向き合った結果であることは間違いありません。

ただ、その上で、福井さんのアプローチが正解だったかどうか?

それこそが、『2202』をめぐって最も重要なトピックではないかなと、私は思います。

『ヤマト2199』第1話の思い出

こんにちは。ymtetcです。

10年以上にわたって続いてきたリメイク・ヤマトには、多種多様な思い出があります。初めて『ヤマト』を地上波放送で観た『2199』テレビ版、受験期に繰り返し観た『方舟』、大学生活と共にあった『2202』、社会人として初のヤマトだった『時代』と『2205』。

しかし特別なのは、2012年4月に観た『宇宙戦艦ヤマト2199』第一話です。

あれは高校の入学式の日、ファミリー劇場でした。

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『ヤマト2199』と『2202』:「付け足し」方法論の違い

こんにちは。ymtetcです。

前回、『ヤマト2202』が「原作から改変している」との印象を与えたのは、『さらば』をテレビシリーズに拡張する段階で必要となる「エピソードの付け足し」において、『さらば』でも『2』でもないストーリーを追加したからだ、と述べました。

リメイクシリーズの『2199』『2202』では、いずれも原作にはない新しいストーリーが追加されています。ただ、両作の「付け足し」方法論には違いがあります。

  • 歴史的権威のない『2202』と権威のある『2199』
  • 『2202』と同じ状態に陥った『2199』第七章
  • 『2199』批判の一因
  • 新作エピソードにはリスクが伴う
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【ヤマト2202】原作との乖離を招いた「エピソードの”付け足し”」

こんにちは。ymtetcです。

『さらば』を原作とする『ヤマト2202』。

ですが、この作品を観て真っ先に「この作品は『さらば』をそのままリメイクしたものだね」と評する人は少ないのではないでしょうか。さらに言えば、多くの人が「この作品は『さらば』を大きく改変している」との印象を抱くのではないでしょうか。

この点は福井さんも気にしているようで、2020年には「『2202』のときは、序盤はともかく後半へ進むにつれ、どこに『さらば』や『ヤマト2』(の要素)があるんだ? っていう展開になっていきました」と述べています。福井さん自身、2016年時点では「基本は『さらば宇宙戦艦ヤマト』を原作として……(略)テーマの再話を目的としたストーリーおよび設定の改変、再定義」と述べており、『2202』の原作『さらば』との乖離は、福井さんにとっても本来意図したものではないことが分かります。

では、これはなぜ起こったのか。羽原さん、小林さんのいわゆる「演出チーム」に目を向けてもよいところですが、今日は福井さんたち「脚本チーム」に目を向けます。

  • 「付け足し」不可避の『さらば』テレビシリーズ化
  • 「テーマは同じだがストーリーが違う」エピソードの投入
  • 「テーマは同じ」?
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『ヤマト2202』に引き継がれた旧『ヤマト』第13話

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事では、『さらば』クライマックスにおける古代進の言葉は、第一作『ヤマト』の第13話、そして第24話から連なるものだと述べました。『さらば』クライマックスの古代の胸にあるのは、「命の大事さ」を理解しようとしない「理不尽な暴力」に対する怒りと、「喪失」の悲しみです。

この怒りと悲しみを克服する手段として、古代は死を選び、自らの理想を全うしたのが、『さらば』のラストだったと言えそうです。

さて、『さらば』のリメイクとして構想された『ヤマト2202』も、概ね同じ手法で読み解くことができます。『ヤマト2202』の古代は、なぜ自ら死を選び、高次元空間から帰ってこようとしなかったのか。

  • 旧『ヤマト』第13話を(結果的に)追体験した『2202』
  • 古代は「人間」への期待と信頼を抱く
  • 『2202』古代が死を選んだ理由
  • 最終話の前振りゆえに
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