ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

ヤマト2202と銀河:⑦終章:「過去」と「未来」

  長らくお待たせしました。いよいよ終章です。終章ではこれまでの議論をまとめ、そして「未来」すなわち2202の今後の展開について軽く展望を述べていきます。

  • これまでのまとめ

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 まず序章では、2202を取り巻く人々について類型することを通じて、2202に対する評価が今どの地点にあるのかを見ました。そして、現在においてはまだ作品全体について評価を下すのは時期尚早であることを確認し、今回のシリーズにおいては、2202第五章に至るまでの「過去」から、2202を捉え直していくこととしました。

 

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 「過去」から2202を見るにあたって、まず「過去」を捉え直すことからスタートしました。そこで「人類最後の希望」という概念を用いて、旧作、そしてリメイクシリーズを捉え直していくことにしたのです。

 「人類最後の希望」という観点から見ると、まず旧作が3つのパターンに分かれていることがわかりました。ひとつ目は、『宇宙戦艦ヤマト』『ヤマトよ永遠に』『宇宙戦艦ヤマト 完結編』『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』などにおける「初めからヤマトは人類最後の希望である」パターンです。そしてふたつ目は、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『宇宙戦艦ヤマト2』『宇宙戦艦ヤマトⅢ』における「終盤にヤマトは人類最後の希望となる」パターン。例外としては、みっつ目の『新たなる旅立ち』における「人類最後の希望ではない」パターンを挙げておきました。

 特に今回の議論の本丸となる『さらば』に関しては、主題歌の一節との関連から「人類最後の希望」に必要な条件を導き出し、『さらば』が有していた最大のカタルシス的魅力を、「ねぇヤマトはどこ?」という一連の名シーンに見出しました。

 

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 旧作における「人類最後の希望」議論を踏まえ、次いで2199‐2202のリメイクシリーズについて論じました。2199については特に冒頭のメ号作戦を取り上げ、そこでの改変が所謂「悲壮感」を奪ったのではないかとしつつ、基本線はパート1を継承したと分析しました。2202では、「人類最後の希望」に転ずるキーとなる地球艦隊の壊滅がまだ訪れていないことから、まだ『さらば』のカタルシス的魅力を発動していないと結論付けました。

 

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  こうして「過去」を捉え直した後、いよいよ本題の銀河について議論を進めました。ここでは「官製人類最後の希望」という新しい概念を取り入れることにチャレンジし、そこから銀河の立ち位置を見出してみました。この概念から見れば『さらば』に「官製人類最後の希望」はなく、「官製人類最後の希望」とも言うべき銀河の登場は、2202が『さらば』にとって異質な存在を取り入れたことを意味すると指摘しました。

 

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 最後に、銀河が『さらば』にとって異質であることを踏まえて、如何にして2202は『さらば』と分岐したのかを考えていきました。ここでは地球政府の危機感に着目し、この危機感が『さらば』と異なるレベルのものとなった背景として、第7話に登場したレギオネルカノーネの存在を指摘しました。

  • おわりに

 さて、これまでの「ヤマト2202と銀河」シリーズでは、「人類最後の希望」「官製人類最後の希望」といった概念を用いて旧作を捉え直し、ヤマト2202が現在どこにいるのかを「過去」を通じて明らかにすることを目指してきました。特に『さらば』との関連性においては、2202が『さらば』最大のカタルシス的魅力を未だ発動していないということを指摘したことで、2202の現在がやや見えてきたのではないでしょうか。また、現在批判の槍玉にあがっている波動実験艦銀河について、『さらば』に存在していなかった異質な存在として、その特殊性、すなわち面白さが浮かび上がってきたことと思います。

 とはいえ、2202の主役が今後もヤマトであるということは変わりません。すなわち、どこかのタイミングでヤマトは「人類最後の希望」に転ずるわけです。では、ヤマトの今後にはどのような可能性が考えられるでしょうか。「未来」に目を向けてみたいと思います。

 まずひとつ目に考えられる可能性は、当然ながら『さらば』と同じパターンです。銀河や復活するアンドロメダガミラス艦隊などの戦力が敗れ、自然に宇宙戦艦ヤマトが「人類最後の希望」として浮かび上がってくるパターン。ですが!

 「ねぇヤマトはどこ?」という名シーン、実はもうやっちゃってるんです。第6話で。ということで、もうひとつの可能性も考えてみましょう。

 それは、『ヤマトⅢ』と同じパターンです。つまりヤマトが特殊能力を有しており、それが人類を救うという流れ。現時点でも、ヤマトはテレサによって「ヤマト⇒大和⇒大いなる和の艦」と、直々のご指名を受けています。ヤマトが何かしらの力(現在は「縁の力」と呼ばれる)をもって、人類を救う可能性があります。現在の所考えられるのはトランジット波動砲ですが、2202があと2章を残していることを踏まえると、もう一山ある可能性が高いと考えられます。ちなみにこちらのルートでは、地球艦隊が壊滅する必要はありません。よって山南もアンドロメダも沈めなくとも、物語を終わらせることができるんです。「さらば」最大のカタルシスをスルーするという点で、この案は「それはリメイクと言えるのか?」という疑問が湧いてくるところですが、そこは興味深い所だと思います。

 いずれにせよ、2202においても何かしらの形でヤマトが「人類最後の希望」に転ずることは間違いないでしょう。

  • 今後の課題

 最後に、私個人の今後の課題について書いておきます。シリーズものの構想は現時点ではありませんが、「人類最後の希望」論については、もっと色々な概念を持ち出して考えてみる必要があると考えています。特に今回の終章で、最後にヤマトⅢパターンの可能性を指摘しましたが、このヤマトⅢにおける宇宙戦艦ヤマトは「特殊能力型人類最後の希望」ともいうべき新概念が適用でき、この概念はさらに他のヤマト作品にも当てはまると考えられます。「人類最後の希望」論については一側面を今回語ってしまいましたので、今後シリーズ化する予定はありませんが、メモという形で幾つか蓄積できたらいいなと考えています。